原点に立ち返るとは、ものごとを開始した地点にもどること、初心を取り戻すことよね。昨年9月に畏友が亡くなったことで、いまそういうことを考えているのね。
十代で知り合ってから、離れていても、畏友からはいろいろと影響を受けてきた。知り合ってから一年ほど文通をしていた。押入れの奥からたいせつに仕舞っているそれらを取り出してもういちど読んでみたいと思うのだが、いまはまだ辛くてそれができないのね。間違いなく、かれはわたしの原点の一人だった。
畏友は、思えば忙しすぎる人生だった。これからゆっくりいろいろと教えていただこうと思っていたのに、いまとなってはそれも叶わない。たくさんの著書を残されているので、浅学ゆえ理解が及ぶかどうかは分からないが、少しずつでも繰り返し読んでいこうと考えている。
亡くなられてから二度、神宮の元巫女さんで畏友からは歌(短歌)の指導を受けていたという奥様にお会いしたのだが。「わたしは、押しかけ女房なんです。だれにでもそう言っています」とおっしゃるのね。そういうことを初対面のわたしにでも素直に?口にされる天真らんまんな方なのね。
畏友は再婚で、最初の奥様は当時の神宮の少宮司の令嬢だった。この結婚はうまくいかなかったということを伺っていた。その方が出て行かれてから再婚されたのね。前の奥様とのあいだのご長男とご自分のお子様二人を、奥様が心配りをして育てられた。そのことにも感銘を受けた。立派な奥様なのね。
これからはお嬢様とやはり神職だというお嬢様の連れ合いのかたと、三人で暮らしていかれるようなのね。奥様の明るさが、晩年の畏友を支えたのかもしれない。わたしなどには到底まねのできない生き方。しかし、奥様は現在目がほとんど見えないということ、障碍をもっておられるのね。
周囲のあの人この人、それぞれの人生模様を眺めながら、あといくばくとも分からない人生を、わたしもわたしらしく生き切ろうと思うのね。ときどき原点に立ち返りながら。