昨日の続き。(これでおしまい)
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現在地どこかがいつもわからない
あちこちの句会に参加させていただくと、これはと思う句にときどき出合うわけで、その句を頼りにそのかたの句集を広げるとがっかりすることがある。
口語で詠むことはそれほどに難しいのだと思う。口語の川柳に文芸の香気を求めたいのである。
この世から少し浮いて生きている私は獏の仲間。「たましい」が自分に近いものに「凭(よ)る」とすれば「月の暈(かさ)あたり」しかない。
獏のされこうべを満月が洗う
「獏」である私の行きつくところは「満月」の荒野。この情景はいつもこころの中にある。果たしてどこで朽ちるのか。どこで朽ちても死に顔に微笑を湛えていたいものである。
拙句を挙げて、思い付くままに書かせていただいた。どの句もいのちの底から出ている声であることに変わりはない。
川柳に何を詠むのか。にんげんとは何か。どれも難しい問いだが、いささかは意図するところが分かっていただけたと思う。兼好法師ではないが、徒然(つれづれ)にとりとめもなく書きつけている。その中の、ことに清冽ないくつかを私の川柳であるとしておこう。
最近の句。
わたくしが点に収斂されるまで
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ケイタイにメールを頂いて、友だちAさんと西河で夕食。ドトールでしばらくおしゃべり。
羨ましいことに銀行員の下の息子さんの結婚の段取りが着々と進んでいるらしい。
うちの息子もそろそろいい人を見つけてほしい。親の気持ちはどこもおなじ。(ひとりごと…)
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