白を出て白に還ってゆく命 たむらあきこ
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春風亭風狂さんに頂いたコメントのなかに(あきこが)「求道者」(かも?)というおことばがあり、しばらく自分のなかでそのことを反芻発酵(?)させてみた。
私とかたちは違っていても、たとえば完司先生の川柳行脚(?)も求道の旅である。句会に参加されているすべての方が求道の旅にいると言っても間違いはない(と思っている)。川柳はにんげんを探究し、にんげんの真実を穿つ文芸なのだから。(完司先生のお名前を挙げるのは申し訳ない、お許しを。)
完司先生と私とは「求道者」としての旅のかたちが少し違うだけである(と思う)。句会に行くまで、いろいろなところに基地 (ありていに言えば喫茶店など) を設けて、作句に没頭するのがあきこ流。句会が始まるまでの貴重な数時間を、気を遣ってしゃべらなければいけない誰か(誰でも)と共有するわけにはいかない。自分を見つめる場、ことばとの格闘の場である。川柳を書く醍醐味に酔い、生き甲斐を感じるのもこの場である。生真面目な(?)そんなあたりが求道者っぽく見えるのかも。
完司先生は豪放磊落、賑やかに懇親会で酒もおしゃべりも欠かさない。カラオケでは歌いまくる。
そんなことは表面上のことである。もともとはシャイなかたなのである。あえて川柳の場で「求道者」らしいふるまいを見せないだけ。それだけに句も、まとめて『平成20年』1冊を読みきるまではいいのか悪いのか(?)分からなかった。「バナナしかなけりゃバナナで酒を飲む」のような、わけのわからん(?)句で煙に巻き笑わせてくださる。(ひょっとすると名句かも知れないんですが。)
要するに、求道者らしく(?)見えても見えなくても川柳を書いている私たちは(みな)求道者。(あるいは道楽者とも言う。)
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渡辺柳山_こころの調べ_ISBN978-4-8237-1444-3.webp)







