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 「川柳発祥の日を祝う会」出席を決めた。往復の交通手段や宿泊施設の決定など、準備を始めている。

 昨年8月9日(だったか)、ピースボート地球一周吟行から帰って、そのあと思うように作句ができていなかった。句会大会出席の数もわずかで、そのことが気になっていたが、そのまま一年が経過した。川柳マガジンクラブ和歌山句会の発足などで忙しかったこともあるが、そうこうしているうちに作句に対する気迫(のようなもの)が衰えてきたことは否めない。

 ‘川柳筋肉’ということばを使うことがある。川柳は、机の上だけで完結するわけではない。句会大会に参加せず、句を詠まない期間が続けば感覚は鈍り、その‘川柳筋肉’なるものが痩せていく。筋肉が使わなければ衰えるように、川柳もまた「使い続ける身体性」をもつ。日常の違和感を拾う瞬発力、感受性、ことばをねじる柔軟性―これらはすべて、継続的な実践によってのみ保たれる。

 では、その筋肉をどう鍛えるのか。答えのひとつが句会大会に参加することなのである。句会大会は、単なる発表の場ではない。自分の句が他者の句と並べられ、評価され、時に沈み、時に浮かび上がる。そこには句が「世界に触れる瞬間」がある。自分の句がどのように読まれ、どこが響き、どこが響かないのか―その現実を受け取ることで、‘川柳筋肉’は鍛えられる。

 句会大会は「たたかいの場」である。これは、他者と争うという意味ではなく、自分の感性・表現がほんとうに通用するのかを試す場という意味だ。自分の表現が他者の表現とぶつかり合うことで、自分のことばや表現の輪郭が研がれる。勝ち負けではなく、重要なのはそこで得られる「読まれ方のフィードバック」であり、「自分の川柳がどこに立っているのか」という位置情報かもしれない。

 “川柳する”とは、孤独な創作と上記の試練を往復すること。ひとりで句を練り余白を整える、だがそれだけでは筋肉は落ちる。句会大会というたたかいの場に出ることで、句は他者の視線に晒され、鍛えられる。その往復こそが、長く川柳を「続ける筋肉」をつくる。

 つまり“川柳する”とは、まずは独りでことばを磨き、つぎに句会大会でそれを試す営みである。筋肉を痩せさせないためにその両方を引き受けること。それが“川柳する”という行為の本質なのだ。

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⦅3852⦆“川柳する”とは‥東京での大会(8月29日、川柳発祥の日を祝う会)出席へ準備”にコメントをどうぞ

  1. 月波与生 on 2026年8月18日 at 7:56 PM :

    川柳筋肉大事です。毎日ある程度の数(10句程度)を書くのも大事。私はこれを素振りと読んでます。

    そう考えると作句は結構孤独。

  2. たむら あきこ on 2026年8月18日 at 9:15 PM :

    月波与生さま
    川柳の「素振り」、上手い言い方ですね。👍

    孤独は、川柳作家としての原点にあるもの。
    まあ、川柳作家のみならずですが。
    誰かと適当に話しながら詠んでいても、ロクな句はできません。

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