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(写真はイメージです)

俳誌「小熊座」の歴史~佐藤鬼房から高野ムツオへ~

【東北の風土と人間を詠み継ぐ俳誌の歴史】

川柳に関する記事が続きましたので、このあたりで短文文芸の俳句の世界にも言及したいと思います。私の川柳界における雅号は渡辺柳山ですが、俳句の世界では渡辺遊山という俳号で投句しています。私の所属している俳句会は「小熊座」です。現在この「小熊座」の主幹は現代俳句協会の会長でもありNHK俳句講座の講師としてもおなじみの高野ムツオ先生です。この「小熊座」の創始者が佐藤鬼房です。俳句には、その土地に生きる人間の喜びや悲しみ、そして時代そのものを記録する力があります。東北を代表する俳誌「小熊座」は、まさに「風土」と「人間」を見つめながら歩んできた俳句結社です。

 その歴史を語るうえで欠かすことのできない俳人が、創刊主宰の佐藤鬼房と、その精神を受け継いだ現在の主宰高野ムツオです。この二人の略歴と「小熊座」についてまとめてみましょう。

「小熊座」の誕生

 「小熊座」は、1985(昭和60)年5月、俳人・佐藤鬼房によって宮城県塩竈の地で創刊されました。鬼房が掲げた理念は、「人間風土の尊厳を思い詩性の昂揚をめざす」というものでした。単に自然の美しさを詠むのではありません。その土地に生きる人間、その暮らし、労働、歴史、生と死までを見つめ、そこから詩を生み出そうという姿勢です。「小熊座」は地方俳誌でありながら、その視線は常に人間そのものへ向けられていました。

佐藤鬼房――「弱者の文芸」としての俳句

 佐藤鬼房は1919(大正8)年、岩手県釜石に生まれました。本名は佐藤喜太郎。幼少期に宮城県塩竈へ移り、その後の人生の大半を塩竈で過ごしました。15歳ごろから俳句に親しみ、戦争では中国・南方へ出征。戦後は西東三鬼に師事し、「天狼」「海程」などにも参加しました。鬼房は俳句を「弱者の文芸」と捉え、働く人々や社会の片隅に置かれた人間に目を向けました。東北の厳しい自然、労働、戦争体験、土俗性などを背景としながら、人間の生きる姿を骨太な言葉で表現した俳人です。1954(昭和29)年には第3回現代俳句協会賞を受賞。のちに『半跏坐』で詩歌文学館賞、『瀬頭』で蛇笏賞を受賞するなど、戦後俳句を代表する存在となりました。そして1985年、66歳で「小熊座」を創刊します。2002(平成14)年1月19日、82歳で逝去しました。

佐藤鬼房の代表句五句

切株があり愚直の斧があり

縄とびの寒暮いたみし馬車通る

陰に生る麦尊けれ青山河

馬の目に雪ふり湾をひたぬらす

戦あるかと幼な言葉の息白し

 これらの句には、鬼房の俳句の特徴がよく表れています。特に「切株があり愚直の斧があり」は、鬼房の代表句として広く知られています。「愚直」という言葉には、黙々と働き、生き抜く人間への共感と同時に、鬼房自身の生き方も重なっているように感じられます。華美な言葉に頼らず、土の匂い、人間の体温、働く者の息遣いまで感じさせるところに鬼房俳句の魅力があります。

高野ムツオ――鬼房の精神を現代へ

 佐藤鬼房の俳句精神を受け継いだのが、高野ムツオです。高野ムツオは1947(昭和22)年、宮城県生まれ。10代から俳句を始め、阿部みどり女に学び、1967年には金子兜太の「海程」に入会。その後、佐藤鬼房に師事しました。「小熊座」では編集長を務め、鬼房を支えながら俳誌の発展に力を尽くしました。

 鬼房の死後、その志を継いで「小熊座」主宰となります。高野ムツオの俳句には、鬼房から受け継いだ東北の風土性と人間への眼差しがある一方、より現代的で大胆な言語感覚もあります。

高野ムツオの代表句五句

われは粗製濫造世代冬ひばり

万の翅見えて来るなり虫の闇

四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と

膨れ這い捲れ攫えり大津波

芽吹くとは血を噴くことか陸奥は

 特に高野ムツオの俳句を語るうえで避けて通れないのが、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災です。宮城県多賀城市に暮らしていた高野自身も震災を経験しました。震災後は、津波、瓦礫、死者、被災地の春、そして生き残った者の思いを俳句によって記録していきました。「四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と」などは、理屈による説明ではなく、身体そのものが巨大地震を受け止めた感覚を言葉にした作品といえるでしょう。句集『萬の翅』は高く評価され、2014年には第65回読売文学賞(詩歌俳句賞)、第48回蛇笏賞、第6回小野市詩歌文学賞を受賞しました。

「小熊座」と現代俳句協会

 「小熊座」の歴史を考えるとき、現代俳句協会との深い関係にも注目したいところです。創刊者の佐藤鬼房は、1954年に第3回現代俳句協会賞を受賞しています。そして、その後継者である高野ムツオも第44回現代俳句協会賞を受賞しています。さらに高野ムツオは現在、一般社団法人現代俳句協会会長を務めています。2024年4月に始まった新体制で会長となり、現在も俳句界を牽引する立場にあります。現代俳句協会は、伝統を踏まえながらも新しい表現や多様な俳句を尊重してきた団体です。

 佐藤鬼房の「弱者の文芸」という思想や、高野ムツオの震災詠に代表される「今を生きる人間を詠む」という姿勢は、現代俳句が追求してきた精神とも深く響き合っています。したがって「小熊座」は、一地方の結社という枠に収まるものではなく、戦後から現在へ続く現代俳句の大きな流れの一翼を担ってきた俳誌といってよいでしょう。

創刊40周年を迎えた「小熊座」

 1985年に創刊された「小熊座」は、2025年に創刊40周年という大きな節目を迎えました。これを記念して40周年記念合同句集が発行され、「小熊座」で活動する俳人たちの作品が収められました。40年という歳月を振り返れば、そこには大きな歴史があります。佐藤鬼房が蒔いた一粒の種が、高野ムツオをはじめ多くの俳人によって育てられ、東北から全国へと枝を広げてきたのです。鬼房から高野ムツオへ、そして次の世代へ。「小熊座」は今も新しい俳句を生み続けています。

川柳作家・渡辺柳山と「小熊座」

 ここで川柳との接点についても触れておきたいと思います。私、渡辺柳山は、俳句を詠む際には「渡辺遊山」の俳号を用い、「小熊座」の誌友として活動しています。川柳と俳句は、ともに五・七・五という短詩型を基本としながら、それぞれ異なる歴史と表現方法を発展させてきました。渡辺柳山が「渡辺遊山」として俳句にも取り組むことは、川柳と俳句という二つの短詩型を往還し、それぞれの表現の可能性を探る試みでもあります。2025年に発行された「小熊座」創刊40周年記念合同句集には、渡辺遊山の俳句20句も掲載されています。川柳を主たる創作活動としながら、「小熊座」という現代俳句の場にも身を置くことで、俳句から学んだ季語、写生、余韻、言葉の省略などを川柳創作へ生かすこともできます。逆に川柳で培った人間観察やユーモア、社会を見る視点が、俳句表現に新しい刺激を与えることもあるでしょう。

渡辺遊山の代表句5句(小熊座40周年記念合同句集掲載)

秋風に背中を押され旅支度

奥入瀬の万緑のなか握り飯

公園のベンチにひとつ枇杷の種

百日紅遊び相手の猿を待つ

軒先の子燕鳴きて朝明ける

鬼房からムツオへ、そして未来へ

 「小熊座」の歴史を一本の線として考えてみると、そこには明確な精神の継承があります。佐藤鬼房が東北の風土と人間を詠む。その精神を、高野ムツオが受け継ぐ。そして東日本大震災という未曽有の出来事に遭遇した高野ムツオは、それを数多くの俳句として後世へ残しています。さらに現在、「小熊座」に集う多くの俳人たちが、それぞれの時代、それぞれの土地、それぞれの人生を詠んでいます。創刊時に佐藤鬼房が掲げた、「人間風土の尊厳を思い詩性の昂揚をめざす」という理念は、40年を経ても色褪せてはいません。

 むしろ災害、戦争、人口減少、地方の衰退などさまざまな問題に直面している現代だからこそ、土地に生きる人間を見つめ、その声を十七音の詩として残すことには大きな意味があります。佐藤鬼房から高野ムツオへ、そして高野ムツオから次代の俳人たちへ。「小熊座」は、東北の風土に根を張りながら、これからも人間を詠み続けていくことでしょう。

 今日は俳句の世界に目を向けてみました。創刊40周年を迎えた俳誌「小熊座」を巡る歴史を俯瞰してみましたが如何だったでしょうか。川柳も俳句も、以前このブログにも書きましたが、垣根がなくなってきています。有季川柳もあれば無季俳句もあります。川柳も俳句も短文文芸としての歴史を積み重ねてきています。どちらの文芸も親しんでみることが大切ではないかと思っています。

柳山そして遊山

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