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 父の遺言は1つだけだった。酸素吸入のマスクを付けた父はベッドに横たわって、「ゴンとロックを頼む」と、何回か繰り返した。
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 母が60歳で亡くなってから、20年間の1人暮らしだった。「国文学の集い」での講義を引き受け、南画を描いて余生を楽しんでいた。体調を崩してからは、私が自宅マンションから自転車で実家に通って父を看た。
 父は2匹の犬を飼っていた。1匹は、子犬の頃庭に入り込んできて、1度は追い払ったが、隣のおじいさんに殴られて鳴いているのを聞いて、引き取ったとのこと。もう1匹は、私がその頃実家で開いていた学習塾に来ていた近所の女の子が連れて来て、その子に飼ってやってとせがまれたらしい。
 犬を飼うと、自由に出掛けられなくなることもあり、戸惑いながらも飼い始めたようである。
 中国に南画の仲間たちと一緒に出かけるときは、餌やりを頼まれた私が自転車で通って来ていた。
 父がこの2匹を可愛がることは並大抵ではなく、広い庭を鎖で繋がずに走り回らせていた。家の中にも入るので、どの部屋も犬の毛だらけ。その家で講義の内容を練ったり、画を描いて悠々自適の暮らしぶりだった。
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 父の死後、2匹の世話をするため、自宅マンションから実家に通う日々が4、5年続いたと思う。週に2日は泊り込み、犬たちが寂しくないようにと心掛けた。ゴンが死に、ロックが死んだ。2匹とも長命で、18年ほど生きた。
 朝、眠っている私を起こすため、外から玄関の引き戸を何度も叩く。冬は家の中に入れると、ベッドにいる私の顔を鼻で突いて起こしたり、本当に可愛かった。犬を飼ったのはこのときが最初で最後。句会に行くことの多いいまは、もう飼うわけにはいかない。
 仏壇のそばにゴンとロックの写真を飾って在りし日を偲ぶ。上の方には父母の遺影が笑っている。

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