2020年11月6日
難解句に思う 越智 学哲
川マガ八月号で、たむらあきこ氏が難解句鑑賞の任を終えるに当たっての総括をしている。柳歴浅い私の浅薄な理解かも知れないが、難解句の本質を衝いて間然する所がない。「簡単に理解される川柳だけがよいとはとても思えない。表層だけを詠んだ句なら、いくらでも転がっている。そこに何の魅力も発展もない」と、小気味よい断定である。勿論、氏の柳歴の裏打ちがあってこその説得力である。

川マガ八月号で、たむらあきこ氏が難解句鑑賞の任を終えるに当たっての総括をしている。柳歴浅い私の浅薄な理解かも知れないが、難解句の本質を衝いて間然する所がない。「簡単に理解される川柳だけがよいとはとても思えない。表層だけを詠んだ句なら、いくらでも転がっている。そこに何の魅力も発展もない」と、小気味よい断定である。勿論、氏の柳歴の裏打ちがあってこその説得力である。
全くの同感なのだが、私などが書けば初心者の妄言の一言で退けられるだろう。また氏は留保も忘れない。「ただ、難解さも〈人間存在〉の深層にせまるものでなくてはならない」。周到な論理展開である。
若い頃に「存在の耐えられない軽さ」というベストセラーがあり、その題名の斬新さに驚いた記憶がある。今、一方の潮流である「川柳の耐えられない軽さ」に、難解句は楔を打ち込むものであってほしい。
…‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥……
川柳マガジン「柳界ポスト」は読者のみなさまからの投稿欄。次は、11月号発表の懸賞川柳「音楽」での氏の入選句。《輪唱にのれない恋はつむげない》(小島蘭幸選)。句を拝見しても、ご自分(だけ)のことばをすでにもっておられる。氏のこれからに期待させていただきたい。
あきこさん、おはようございます。
再再度のアップ、痛み入ります。
最近痛感するのは、軽い思い付きめいた句の方が、重い愚直な句よりも評価が高いのではということです。自己の人生をなんとか詠みこもうとした句よりも、思い付いたイメージを膨らませた句の方を良しとする風潮があるのでは。そこから、いかに人と違ったイメージを、はぐらかしたように何かの語とくっつける。その二者間の乖離の面白さを競い合う。言わば門外漢には、何を言いたいのかよく分からない句が見受けられます。今は思い付きの競い合い、「川柳の耐えられない軽さ」の時代なのでしょう。
以上は、イメージの喚起力のない、一本調子の川柳家の妄言です。
また色々と教えてください。
越智学哲
越智学哲さま
高田寄生木賞というのがあるのですが。
ここで川柳に関する論文を募集しているのね。
学哲さんにはピッタリ。
いま思っておられることを、正直に、そのまま書かれるだけでよいでしょう。
もちろん論文ですから、そのあたりは構成などもかんがえて。
二月末が締切なので。
力試しに、やってみてください!!!!!
(^_-)-☆