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 価値観、すなわち何に価値があると認めるかに関する考え方。価値判断するときの根底となる、ものの見方は時代により変化している。我われの価値観はいままさに多様である。多様であっても、まったくランダムというわけではなく、世界的に見ても国や地域や文化圏ごとに傾向があるといえる。

 親と子で価値観が大きく異なるということもままある。価値観の形成には親や教師から教えられたこともあるだろうし、書物から吸収したこともあるだろう。個人的な体験があり、そこから思索の積み重ねによって価値観が構築されるということもあるだろう。価値観は人の具体的な行動となり、生き方になって現れることになる。

 おなじ価値観をもつ人同士はたがいの行動が理解しやすいため、接近する傾向があるだろう。価値観が共有されているかどうかが、長い間の関係に影響してくる。親と子でも価値観を確認しあうということがなければ、さまざまな場面で反発し合ったり問題が起きてくることが想定される。その場合でも、たがいの価値観を認め合い、わかち合うことで、事を荒立てず円満に付き合っていくことができる。

 ここ数年ですっかり“墓じまい”ということばが定着した。無縁墓は存在したが、新しい価値観をともなった“墓じまい”ということばは、先祖代々の墓を手離す罪悪感を薄めたように思う。モノを大切にする日本的価値観も、“断捨離”ということばによって美しく駆逐された。日本人のライフスタイルの急激な変化が、そのようなかたちで顕在化されてきたということだろう。

 我われの仕方なく受け入れ、付き合っている様々な“しきたり”の存在がある。昔は意味があったであろうが、いまは形骸化したそれらのことに苦しめられる場面もあるのである。そこをスッキリさせることは、むしろ若い人たちの選択による。そんなしきたりを振り切り、より現代に合うように生きやすいように変えていくことは許されてよい。だれもが本音で生きられる時代に入ったと思いたい。価値観は変わったが、それでいい。



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