6時半起床、ストレッチ、朝食、(ユーグルト、納豆、イチゴ、キンカン、リンゴ、トマト、バナナ、きゅうい、葡萄、黒酢、ウインナー、牛乳、珈琲)8時半完食。
8時半からGG、22.24.20.26。11時半。まで。
11時半から昼食。すき家(牛丼並)12時まで。
帰宅12時半から奉行句会、13時全員集合。清記、出句選句、披講14時半途中で、家内の見舞い、下着交換。係員から食事がうまく取れないと知らされる。やりようなし。見舞いの間、グラウンドゴルフの球をデーブルの上で転がして過ごす。帰宅少し、早いが夕食(讃岐製麺、釜揚げ並お天婦羅)帰ったらすぐに、川柳ひろば編集、試し刷、チェックなどして、プリント、折込。22時まで。
22時から、デスクワーク、22時半。
23時就寝
歩数計は4900
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一日の記録を追っていくうちに、その奥にあるご様子が静かに伝わってくるようで印象的でした。見舞いの場面も含め、言葉にされていない部分に考えさせられるものがありました。こうした日常の中で句が生まれる瞬間は、どのようなものなのでしょうか。
ここのブログをのぞいている読者の方も、同じように感じられることがあるのか、伺ってみたいです。
妻の元気は時から色々な場面で、趣味はその世界に没頭し、ある先輩から賢悟さんは、仕事と家庭の句が少ないと言われたくらい自分の実生活には、無頓着でした。家内はデイサービスに、行くようになってからは、鬼になったり仏になったりしながら、家内の句を解きんきは、作る様になりましたが、施設にはいいてからは、鬼にも仏にもならず、真綿で首を絞められるように絶望のあ余り句など作りようがありません。ただ長い間、続けてきた川柳の、作句は、家庭のことは一切忘れて、ひたすら575を追っかけています。これが、私がいま生きている、糧になっているのかもわかりません。いつになるか分からにが、家内が亡くなって、何年かしたら、私を取り戻せると思って、何があっても三度の食事は取る様にしています。