飛行場火薬で飛ばす花崗岩
広島空港は、1993年、平成5年10月に供用開始になが、それ以前の、5.6年前だったとお思う。わが社のような小さな、土建屋が、空港の本体工事をやる力はないが、空港のように、大量の土砂を移動する工事は、前もって沈砂池の整備が必要なのである。わが社が請け負った工事は、広島県発注の、既設のため池を、改良補...【続きを読む】
庭石の根〆につわぶきを植える
小さい我が家の庭にも、庭石の一つや二つは置いてある。その根〆に、工事現場から抜いて帰ったつわぶきを植えたが、45年経った今も、春には若芽が出たのを、一度は、油で炒めて食べ、秋には黄色い花を咲かせてくれる。もうその春がそこに近づいている。
家内はまだ行けないので、一人でGGに行く。17.21.23.1...【続きを読む】
村おこし早く出てこい雪女
地方創生などと、政府は躍起になっているが、東京一極集中は、歯止めがかからない。いっそのこと、雪女に出て来てもらい、夜な夜なストリップショウでもやってもらったら、と思っている。ところがよく考えてみると、ここ20年30年先には団塊の世代の、方がついて、日本人自体がいなくなるので、東京もおちおちしていられ...【続きを読む】
瀬戸物の釦で戦勝つまでは
私が中学生の頃は、釦は瀬戸物であった。釦だけではない。沖縄の非戦闘員が軍隊から自決用に渡された、手りゅう弾も、本体は瀬戸物で作られていた。昭和20年6月の沖縄はまさに地獄であった、吾が妻を、吾が子どもを、アメリカの艦砲射撃ので中で、手にかけた怨念が、この度の県民投票で、7割を超える反対票が集めたよう...【続きを読む】
信号の赤の消えない日がつづく
この句は、阪神淡路大震災の年の、三原神明祭協賛川柳大会の翌日、森中恵美子さんを、八島白龍・杉原正吉、三谷照子さんと私と5人で、三原の仏通寺をはじめ、三原の名所を私の車で案内した時のお礼にもらったはがきである。震災は1/17日にあったのに、川柳大会は翌2/8日だったので、震災からわずか、20日余りだっ...【続きを読む】