Loading...Loading...

 吟行でたいせつなことは、土地の歴史を調べること、地名ほかの固有名詞を正確に句に詠み込むことである。イメージを膨らませながら、歴史から切り取って一行詩にしてゆく。現地で直感的に受け止めたことがたいせつなことは、言うまでもない。
 吟行地の正確な情報を得るためにウィキペディアは重宝している。今回吟行のあとのアップになったが、どこで何を切り取って詠んだか、下記ご参考まで。(句は、次回)
…‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥……
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、一部。
寺伝によれば、天平年間(729年749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。行基は、病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、白鳥(しらとり)に南西の方向に導かれたが、その白鳥は和泉国で羽根だけを残し何処へともなく消え去り(この地は現貝塚市鳥羽だと言う。)、彷徨いながら北東の方向へ進んで行くと、16人の童子(観音菩薩の化身)に遭遇し(この地は現貝塚市清児と言い、稚児塚の伝承地が現存する。)、その童子に案内され、行基が2つの川が合流する「水間」の地に着き、誘われて滝に向かうと竜神が現れ、聖観音像を授けられたと伝わっている。その滝は、現在の本堂の裏を流れる秬谷川にあったらしく、現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と墨でかかれたボードが設置されている。

貞享5年(1688年)に刊行された井原西鶴の『日本永代蔵』の第1話「初午は乗て来る仕合」に「泉州水間寺利生の銭」と記されたことで全国的に知られるようになった。1925年大正14年)には参拝客を運ぶための水間鉄道水間線が開通している。



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K