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 昨年の「恐山吟行」は、7月21日(大祭)。川上三太郎(1891年1月3日-1968年12月26日)と尾藤三柳(1929年8月12日 – 2016年10月19日)両師の連作の影響で、かならずここだけはとの思いで出かけていった地だった。私の吟行の原点は両師の「恐山」連作にある
 いまは観光バスが停まるような有名な観光地でもあり、両師の触れた恐山とは違うだろうとは思う。酷暑で、続いて来る人もいない灼熱の恐山を、水をたっぷり含ませて首にかけたタオルだけを頼りに小一時間ほど吟行してきたのだった。以下は、順に川上三太郎師、尾藤三柳師、あきこの連作。
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥
おそれざんぴんく    川上三太郎
恐山石積む愛か呪詛の手か
恐山 石石石石 死死死
恐山 イタコつぶやく蟹となる
恐山死と死の間に石を詰め
惻々と恐山死を引き寄せる
恐山ほと走る朱を落暉とす
恐山われが真紅の血は頒けず

恐山怨雨    尾藤  三柳
地の涯(はて)の宇曾利(うそり)のやまの黄泉(よみ)の雨
地獄谷過去は未来はすすりなく
一鴉(いちあ)地から生まれ輪廻の餌(え)をあさる
てんてん てんてんと赤 ぬれ菩薩
うごくものとて血の池をたたく雨
地蔵らよ 雁(かり)啼くころは咲(わら)わんか
じょうじょうと御詠歌聞こゆ濁穢(じょくえ)の耳
影を奪われて翳となる死者のやま

恐山うしょろ    たむらあきこ
大祭はいま 炎天を抗(あらが)わず
無間地獄(むげんじごく)を石が仕立てる恐山
岩に縁(よ)り露出する鬼 鬼鬼鬼
火葬のあとの骨か石かと恐山
ややななめうしろに鬼の息がある
荒涼の絵になってゆく恐山
けふはけふの赤鬼青鬼きて嗤(わら)
どの焦げ目からも地獄が口あける
千二百年のきのうに石を積む
積む石がやがて因果を喚(わめ)きだす
露岩一つ一つの裏にある地獄
苦しみのかたちを石が投げ返す
掴みきれぬものへ居る また睨む鬼
欠け地蔵 無常へ辻褄をあわす
炎天のうしょろが青を集めている
宇曾利湖(うそりこ)の青はあの世の青だろう
寂寥の裾をひろげる大尽山(おおつくしやま)
とんぼ一匹賽の河原にすべりでる
けふを回りきのふを回るカザグルマ
此岸(しがん)彼岸のはなしを灼けた砂とする
湯治場の部分はきっとやわらかい
古滝(こたき)の湯 がらりと入口が二つ
ひたひたと湯槽(ゆぶね)をあふれでるきのう
瞬間が煮える きのうの独歩行
呼ぶ霊がイタコの低い声になる
(註:〈うしょろ〉はアイヌ語で窪みのこと)



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