Loading...Loading...

 下記は新家完司、雫石隆子、田中新一の選者各氏の佳作をいただいた作品。父が逝って10年以上が経ったが、遺品はまだそのままにしている。いつまでも生前の顔で、ときどきひょいと目の前に来ては笑っている。生きていればいま88歳。前田咲二瓦版会長と同年齢。高校教諭の職を退いてからは、頼まれて国文学の講座の講師を務めながら水墨画を描いていた。
‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥
淡墨桜 
 亡父といる     たむらあきこ
桜闇の向こうに棲んだままの父
たましいのかたちに書画が遺される
わたくしが死ねば必ず父も死ぬ
仕事場のイーゼル父の影を曳く
父の名で検索父が前にでる
許せない父は数えぬことにする
南無阿弥陀佛の掛け軸の字も父である
それからの十年父が傍にいる
独りだとしても包んでくれている
父として淡墨桜をふり仰ぐ



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

亡父といる ‥(第12回 川柳マガジン文学賞・佳作)”にコメントをどうぞ

  1. 心咲(みさき) on 2014年11月12日 at 9:44 AM :

    許せない父は数えぬことにする

    慈しみを一身に受けたあきこさまの呟きを聴いた気がします。
    私の亡父も、尊敬することばかりの思い出ですが…母から見ればそうとばかりは言えなかったようです。
    でも、娘としては、その点はカウントいたしません。
    あくまで大好きな、いつまでも理想の父が棲んでいます。
    これからも、お父様の句を愉しみにしております。
    ありがとうございました。

    • たむら あきこ on 2014年11月12日 at 10:41 AM :

      心咲さま
      いつまでも実家をそのままにしておくこともできなくて、困っています。
      画や著書や、その他。胸が痛くて処分できないので、そのまま。
      同じような悩みをもつ方は多いでしょうね…。
      でも、いつかは思い切らないと、息子が困るのよね。
      私自身もいつまでも生きていられるわけではないので。
      つかの間の人生だと、しみじみ思います。
      川柳という「嵩張らない」ことをしているので、その点、私はよかった。
      亡父の大きな画などは、全くどうしてよいものやら。

      すみません、少し愚痴っぽくなったかな。(^^;
      コメントありがとうございました。ではまた。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K