下記は新家完司、雫石隆子、田中新一の選者各氏の佳作をいただいた作品。父が逝って10年以上が経ったが、遺品はまだそのままにしている。いつまでも生前の顔で、ときどきひょいと目の前に来ては笑っている。生きていればいま88歳。前田咲二瓦版会長と同年齢。高校教諭の職を退いてからは、頼まれて国文学の講座の講師を務めながら水墨画を描いていた。
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亡父といる たむらあきこ
桜闇の向こうに棲んだままの父
たましいのかたちに書画が遺される
わたくしが死ねば必ず父も死ぬ
仕事場のイーゼル父の影を曳く
父の名で検索父が前にでる
許せない父は数えぬことにする
南無阿弥陀佛の掛け軸の字も父である
それからの十年父が傍にいる
独りだとしても包んでくれている
父として淡墨桜をふり仰ぐ
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許せない父は数えぬことにする
慈しみを一身に受けたあきこさまの呟きを聴いた気がします。
私の亡父も、尊敬することばかりの思い出ですが…母から見ればそうとばかりは言えなかったようです。
でも、娘としては、その点はカウントいたしません。
あくまで大好きな、いつまでも理想の父が棲んでいます。
これからも、お父様の句を愉しみにしております。
ありがとうございました。
心咲さま
いつまでも実家をそのままにしておくこともできなくて、困っています。
画や著書や、その他。胸が痛くて処分できないので、そのまま。
同じような悩みをもつ方は多いでしょうね…。
でも、いつかは思い切らないと、息子が困るのよね。
私自身もいつまでも生きていられるわけではないので。
つかの間の人生だと、しみじみ思います。
川柳という「嵩張らない」ことをしているので、その点、私はよかった。
亡父の大きな画などは、全くどうしてよいものやら。
すみません、少し愚痴っぽくなったかな。(^^;
コメントありがとうございました。ではまた。