定年後の60歳の時に地元町内の自治会長を1年ほど務め、その後町内に行事や会合があると顔を出すことが多くなった。
どこもかしこも高齢化社会。我が町内会ももちろん例外ではなく、独居老人、老夫婦が多い世帯構成である。集まりの参加者の平均年齢はだいたい60代後半から70代、80代になるのではないか。子供のいる若い世代もいることはいるが、どちらかと言うと、町内のことに関心があるのは高齢者の方である。
話し合いの中の発言を聞いていて気がつくことがある。よく手を挙げて話す高齢者は独居の方が多い。家の中で話し相手がいないとどうしてもそうなるのだろう。私が定年退職後に続けている週1回の太極拳の練習でも、休憩時間によく喋る人はそういう方が多い。そして、何かの用件で私の家に電話をかけてくると必ず長話になってしまう。
さて私も昨年11月に老母を亡くし、誰が見てもどこから眺められても、後ろも前も完全に正真正銘の独居老人である。家の中で会話する相手が全く居なくなった。話し相手になるような犬や猫などのペットも飼っていない。飼うつもりも当分はない。狭い部屋の壁に向かって独りで話しかけたらいささか病的な世界となる。テレビのお笑い番組を観て、偶に声を出して笑うことはある。通っているコーラスの自宅練習で、独唱することもなくはない。家の中では、それ以外の生の人間の声はほとんど響かない。
でも何かの集まりがあって出掛けて行き、日頃の溜まっていた話題について、たまたま隣にいた人に対して話しかけ、堰を切ったように喋り始めるみたいなことはしていない(と思う)。そういう意味では他人に一人暮らしがバレていないような接し方をまだしているのかもしれない。
ところがである。今年の春に長く所属していた大阪の吟社が解散することになって、その記念の集いへわざわざ栃木から新幹線に乗って出掛けて行った。ほとんどの人は初めて会う方ばかりである。一次会の宴会は大変盛り上がったが、普通に飲んで食べてまともな会話をしていたと思う(と、私なりに記憶している)。しかし二次会では羽目を外して、なおかつ箍が弛んだように相当喋りまくっていたらしい(それは後で仲間からしっかり指摘された)。そして何と、二次会が終って帰る際、自分の声が出ていない、嗄れていることに気づいたのである。翌日の朝「嗚呼、昨夜はやっちまったなぁ…」と、一応は反省した次第である。とは言え、多分いつかまたやらかすかもしれない。恐らくやるだろう。
正直に言えば、みんなと会えてものすごく嬉しかったのである。解散しなければ一生お会いすることもなかったであろう川柳仲間の人たちとの出会いが叶って感激至極だった。一人暮らしだったからではない。
私もいずれ70代になった頃には、会合でよく喋る、うるさ型人間に変身しているかもしれない。あまり周りには迷惑をかけたくはないのではあるが…。
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