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 生き甲斐とは、生きることに価値や意味をもたらすみなもと、そのみなもとが存在することにより自らの生に価値や意味があると感じられるという二つの側面をもつ概念よね。川柳は、巧いヘタはさておき生き甲斐に直結するのね。生活の中から、自分で掴み取ったことばで、何はともあれ表現すればよいのだから。そこに生活があるかぎり、誰にだって詠めるのね。

 ボランティア活動など、社会に参加し受け入れられることによる生き甲斐もあれば、信仰など、直接社会とは関わりのない生き甲斐もある。ネガティブには誰かを憎んだり、見返してやるといった願望をもち続けるというような、暗い情念が動機となっている生き甲斐もあるだろう。

 一般に老年期は、人生の盛りを過ぎ、健康や社会的役割などの多くを喪失する期間と思われていることが多い。しかし、現実には周囲の高齢者の多くが自己否定感に苛まれることもなく日々を過ごしている。穏やかに老いを受容できるのは、それぞれの生き甲斐が老いや喪失感への拮抗因子となっているからだろう。

 子や孫の成長が生き甲斐だった場合、子や孫が大人に近づくにつれ自分の役割は減少していく。生き甲斐は喪失と隣り合わせである。周囲の川柳人が(いろいろあっても)お元気なのはなぜだろう。川柳を詠むことは、生きるつらさを和らげる。脳には、苦しいつらいを情熱に変換する機能があるというのね。つらいことや苦しいことがあっても、川柳に昇華することでこころのバランスを取り、生きる力に変えられる。

 幸せとはひとことで言うといまの自分を受け入れることだと思うのね。自己肯定感があること。しかし自分を受け入れるには自分以外の人やモノと出会うことが必要なのね。川柳に表現された、自分以外の人の体験を再体験することによって、自分を知ることができる。よい句に共通しているのはある意味純粋さなのね。純粋なこころで向き合ったら、詠んだ人の思いに近づける。そういう意味で川柳は発信し続けるのね。川柳は“生きている”のである。



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