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 「若者の恋愛離れ」とか「非婚社会」など、よく聞かれるようになった。結婚のありようもいろいろであっていい。美術家・篠田桃紅(しのだ・とうこう)氏が3月1日に亡くなったことで、生涯独身を貫いた氏の生き方について思うところがあった。

 桃紅さんは1913年(大正2)生まれ。父の「必ず結婚するように」という遺言にそむき、独身を貫いたという。1956年に43歳で単身渡米、ニューヨークで水墨の抽象画が高く評価されたとか。桃紅さんの作品は外国人に人気だったので、アメリカで作品を出さないかと招待を受けたのね。戦前戦中戦後という激動の時代を、自由に個人として生きようとした桃紅さんの姿は凛々しい。

 5歳の頃から父に書の手ほどきを受けていた桃紅さんは、ずっと何となく社会への違和感をもっていたらしい。その違和感をはっきり悟ったのは縁談の話が出るころだったとか。縁談から逃れるため、1人で暮らしていけるようになろうと書道を教え始め、やがて一軒家を借りたという。年頃になれば結婚することが普通で、常識とされていた時代だったのね。つぎは、結婚についての桃紅さんのことば。

人がいれば寂しくないなんてことはあり得ないですよ」「すべてが共感しあえるなんて、あり得っこないのよ。人間は絶対独りですよ。どんないい人と一緒にいても」

「女の人はひとりで生きてたらかわいそう、だなんて、と~んでもないわよね」人が人を幸福にし得るなんて、どっちにしろ、女にしろ男にしろ無理ですよ」「自分の生き方は自分にしか通用しない。お手本になんかなれない、私は」

 桃紅さんは、映画監督の篠田正浩氏の従姉にあたるとか。 桃紅という名前は、3月に生まれたので父につけてもらったのだとか。中国の古い詩に 「桃紅李白薔薇紫 問起春風總不知」(桃は赤、すももは白、バラは紫。春風は同じように吹いても花はそれぞれの色に咲く)とあるのだとか。

 桃紅さんのことばに、つぎのようなものもあるらしい。一部川柳においても通じることなので、記しておく。

自分が作りたいというものがあり、それは幻のようなもの。それを道具(墨や筆)を使って可視のものにするのがアート

「書道は型が決まっているので墨を使った抽象画を描くようになった。戦前は私の作品を認める人は少なかったが、戦後はアメリカから来た人たちから評価され、認められた。それで、渡航費ほかすべてアメリカ(の芸術支援者)持ちで渡米した」

「アメリカは好きな事をやってそれが認められる国だった。日本は島国で広い世界を知らないから身内で同好会みたいなものを作ってやっていることが距離をおいてみてわかった」

「アメリカで認められて自分を表現することがごく当たり前のことだと思うようになった。 自由というのは自分に責任を持つということ。このごろは日本もそのようになってきた。戦争に負けてアメリカの価値観が入ってきて日本も随分変わった」

 さてふたたび本題。桃紅さんは独身を貫いたが、結婚がよくないとは言っていない。事実婚や夫婦別姓も取り上げられる現在、従来の結婚への価値観は大きく変わってきた。ひと昔前には結婚することは当たり前だったが、いまはそうではなくなった。結婚は義務的なものではなく、したい人がするものという考え方が一般的になりつつあるのだろう。



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