定金冬二の川柳15句❷(「まぼろしの句集たち 定金冬二(さだかね・ふゆじ)句集『無双』」より)
ー私小説(昭和20年~29年)ー
わが頭わが手で愛すほかになし
生きて行く技巧まずしく歯を磨く
春雷や 人あざむいた覚えなし
こんな美しい貧乏をさげすむか
言い訳の呼び鈴おせば灯がともる
家を売る日のひとときを父の墓
慰めて下さる人もふしあわせ
金借りに行く靴なれど磨く妻
ぎりぎりの憎しみ石を投げて...【続きを読む】
(2019)天守閣7月句会(半蔵門会長「偲ぶ会」)‥《ひねもすの寡黙もひとり居の掟》
故・久保田元紀氏のお誘いで初めて天守閣句会におじゃましてから早十年を超える。この句会で時実新子氏の訃報に接したのもつい昨日のことのようである。元紀氏の兄である久保田半蔵門氏、6月3日ご逝去。
梅田の駅前第2ビル6F大阪市立総合生涯学習センター第2研修室着は13時前だったか。和代、慶一、信也、とう...【続きを読む】
圧倒的なコトバのちから(定金冬二句集『無双』を読む)‥《こんな美しい貧乏をさげすむか》(定金 冬二)
昨日柳友井丸昌紀氏に送っていただいた(ありがとう!)「まぼろしの句集たち 定金冬二(さだかね・ふゆじ)句集『無双』」(コピー)を昨夕からドトールにて読みかけております。(読むのも早いのね) ブログにはこれからかなりの数を抄出、アップしてまいりますので、必要な方はどうぞコピーなさってください。
先...【続きを読む】
定金冬二の川柳15句‥《割り箸を割ると枯野が見えてくる》(定金 冬二)
定金冬二(さだかね・ふゆじ)は大正3年(1914年)津山市生まれ。昭和6年「漫画川柳」との出会いから川柳に興味をもち、昭和23年津山番傘川柳会を創立。昭和31年 川柳みまさか吟社を創立。津山市に句碑あり。出版されている作品集は『無双』、『一老人』。平成11年(1999年)没。
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(2019)堺番傘7月句会‥《わたしという弱さが蛇行してしまう》
南海和歌山市駅10時発特急サザンで天下茶屋まで。高野線に乗り換えて堺東駅まで。改札を出てすぐの喫茶店へ。そこにおられた柳友としばらく談笑。12時半頃、徒歩5分の東洋ビルディング4F7号室まで。くんじろう、恵美子、晃朗、侑子、かこ、灯子、桂子、加代、秀夫、たかこ、慶一、ふさゑ、いずみ、勝彦、握夢、喜...【続きを読む】
定金冬二の川柳
前田先生の句を拾っていくうちに見つけた定金冬二の作品。呆然とするくらいうまいのね。それがどこにあったのか、紛れ込んでしまって探してもないのね(汗)。(あきらめて)本日21日(日)の句会(堺番傘7月句会)に行く準備。川柳界に名を残している方々の名句をこれからときどきアップして、川柳界内外の方々の目に...【続きを読む】
つづきのつづきのつづき(最終)‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
再びふり返って「川柳は文芸たり得るか」と考えてみると、川柳に限らず、小説・詩・短歌・俳句等のジャンルだからと言って、例えば小説を書いているから私は文芸を書いている、俳句を創っているから、私の俳句は文芸だーーとは誰も思わないのではないか。要は、それら多数の作品の一部のすぐれた作品のものを、我々は文芸...【続きを読む】
つづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
以上簡単に各時代のポイントを上げてみたが、これだけ見ても川柳の表現が変化しているのがわかると思う。
第三、第四、第五は、それぞれ関連がある。第三の問題は、前記の作品を読んでもらえれば、川柳がこっけい、オカシミばかりではないことがわかるであろう。現在の川柳界は、おそらく川柳史上最も一般大衆にアピー...【続きを読む】
つづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
・屍のゐないニュース映画で勇ましい 鶴 彬
・万歳とあげて行った手を大陸において来た ゛
・手と足をもいだ丸太にしてかへし ゛
・胎内の動きを知るころ骨がつき ゛
鶴彬は昭和十三年特高警察に検挙され収監中に病死する。この当時にあってこれだけの反戦詩を書...【続きを読む】
17日のつづきのつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
・一代の五尺に足らず絵巻物 吉川雉子郎
・生きている証拠に飯を食っている ゛
新川柳改革後の川柳である。この作品は、小説家吉川英治の若かりし頃の作品である。古川柳の他人を第三者の眼で見つめる句と違い、己れ自身を己れで見つめている眼がある。新川柳改革は、古川柳の初期の最も文...【続きを読む】
17日のつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
以上、五点上げたが、これらに対してどうすべきか。
第一に対しては、現在歴史的に見て、おそらく今が一番川柳人口の多いときではないかと思われる。理解者を得る土台が今出来かかっていると言えるだろう。現在の川柳界の対処によって、かなり理解者や実作者人口の未来は変わってくるように思われる。
第二は、これ...【続きを読む】
17日のつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
川柳がなぜ文芸らしくないのか、その理由として私は次のように考える。
第一に、川柳は数百年の時間を背負った短歌、四百年の伝統のある俳句に比べると、まだ歴史が浅く(ほぼ二百五十年)、理解者層に開きがあり、その数も少なく、実作者も少ない。
第二に、その表現が、例えば俳句と比べて卑近で通俗的であること...【続きを読む】
【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
現在、川柳は様々なメディアで取り上げられ、川柳人口も増大しているようである。しかし、他の文芸(小説・詩・短歌・俳句)の人、あるいは一般の方々から「川柳は文芸ではない」という言葉が時折聞かれ、またそのような漠然とした雰囲気が消えることはない。
では、その「文芸ではない」というところの文芸とは何か。...【続きを読む】
小西幹斉氏とサトイモ&サトイモのカンタン調理法
いただいた野菜に、それをつくった人の高潔な人格を感じたことがある。大げさなことを言うなと故人に叱られそうだが。川柳人・故小西幹斉氏に送っていただいた、土付きの穫れたての立派なサトイモがそれだったのね。ウナる(大げさではありません)ほどの美味。氏は前田咲二先生の親友だった。「幹斉が『あの人は句が上手...【続きを読む】
(2019)川柳塔わかやま吟社7月句会‥《行き場ないこだわりをまだ飼っている》
和歌山商工会議所4Fの句会会場着は12時40分頃だったか。知香、小雪、ほのか、日出男、保州、なる子、よしこ、冨美子、紀子、徑子、大輪、准一、あかね、航太郎の各氏、ほかみなさまとごあいさつ。大阪から多数のご出席。席題は「選挙」。
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[(2019)川柳塔わ...【続きを読む】
川柳、この離れがたい魅力は何だろう⑤(最終)
コスモス(宇宙)というようなものに興味をもったのは十代の初め頃だったか。勉強ができてずっと学級委員などもしているが、なんとなく周囲から浮いているような少女。そんな感じだったかも知れない。よく一人で人のいない川原などを歩いていたりしたのね。
あるとき、自分が自然としだいに一体化していくような感じ、...【続きを読む】
記憶の中の川柳人、小西幹斉氏と中山おさむ氏(前田咲二先生のご親友)
わたしが大阪や京都の句会に出席するようになったのは平成17年の秋ごろ。まず川柳マガジンクラブ大阪句会へ、そのうち誘われてあちこちの句会に出席するようになった。平成19年の夏(8月だったか)、大阪の展望句会で前田咲二先生に初めてお声をかけていただいたのね。
大会にも誘っていただき、お供させていただ...【続きを読む】
川柳、この離れがたい魅力は何だろう④
短歌の5・7・5・7・7、俳句や川柳の5・7・5。短詩型文芸の定型をむずかしく思っておられる方も多いが、実際に試してみると定型のほうが詠みやすいことにすぐに気づくだろう。自由詩のように、「自由に書いてみなさい」などと言われたら逆にむずかしい。
俳句で必須と思われていることの多い季語も、入っていて...【続きを読む】
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