以上簡単に各時代のポイントを上げてみたが、これだけ見ても川柳の表現が変化しているのがわかると思う。
第三、第四、第五は、それぞれ関連がある。第三の問題は、前記の作品を読んでもらえれば、川柳がこっけい、オカシミばかりではないことがわかるであろう。現在の川柳界は、おそらく川柳史上最も一般大衆にアピールしていると思われる。それは主にマスコミを通じてである。現在の川柳界のひとつの不幸は、マスコミによって川柳の一部分しか取り上げられていないこと、また一つの文芸として位置づけられていないことである。例えば新聞では、川柳欄の多くが編集部選であり、個々の選者による責任ある選ではない。またサラリーマン川柳等、冠のついた川柳の氾濫、他のメディアでも取り上げられているが、まだまだ現代川柳の一部分しか取り上げられていないのが実情である。
それは同時に、川柳界にも問題がある。現在の川柳界を大きくふたつに分けるとすれば、少数の川柳を文芸(創作、あるいは自己表現の場)として取り組んでいる人達と、大多数の句会を中心とした親睦会的な人達に分かれる。この句会では、題が出され、それによって作品を作り、題ごとに選をして点数をつける。その点数を合計し順位を決める。大会ともなるとその順位の先の方から賞品が出される。作品の佳し悪しは二の次になる。困ったことにはこれらの作品がマスコミにのるのである。これらのややもすると質の低い作品が、一般の方々に川柳の作品として目に触れるのである。句会・大会はそれぞれ川柳会を育くむ上で大いに意味のあることではあるが、同時に作品の質を高める必要がある。また川柳作家による句集の出版、評論活動が他ジャンルに比して著しく少ないことも、川柳の理解者を少なくしている原因のひとつであろう。
(すべて原文ママ。印刷物の字が小さすぎ、目に負担がかかるので、小分けして書いております)
続きは次回(最終)
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