つづきのつづきのつづき(最終)‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
再びふり返って「川柳は文芸たり得るか」と考えてみると、川柳に限らず、小説・詩・短歌・俳句等のジャンルだからと言って、例えば小説を書いているから私は文芸を書いている、俳句を創っているから、私の俳句は文芸だーーとは誰も思わないのではないか。要は、それら多数の作品の一部のすぐれた作品のものを、我々は文芸...【続きを読む】
つづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
以上簡単に各時代のポイントを上げてみたが、これだけ見ても川柳の表現が変化しているのがわかると思う。
第三、第四、第五は、それぞれ関連がある。第三の問題は、前記の作品を読んでもらえれば、川柳がこっけい、オカシミばかりではないことがわかるであろう。現在の川柳界は、おそらく川柳史上最も一般大衆にアピー...【続きを読む】
つづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
・屍のゐないニュース映画で勇ましい 鶴 彬
・万歳とあげて行った手を大陸において来た ゛
・手と足をもいだ丸太にしてかへし ゛
・胎内の動きを知るころ骨がつき ゛
鶴彬は昭和十三年特高警察に検挙され収監中に病死する。この当時にあってこれだけの反戦詩を書...【続きを読む】
17日のつづきのつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
・一代の五尺に足らず絵巻物 吉川雉子郎
・生きている証拠に飯を食っている ゛
新川柳改革後の川柳である。この作品は、小説家吉川英治の若かりし頃の作品である。古川柳の他人を第三者の眼で見つめる句と違い、己れ自身を己れで見つめている眼がある。新川柳改革は、古川柳の初期の最も文...【続きを読む】
17日のつづきのつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
以上、五点上げたが、これらに対してどうすべきか。
第一に対しては、現在歴史的に見て、おそらく今が一番川柳人口の多いときではないかと思われる。理解者を得る土台が今出来かかっていると言えるだろう。現在の川柳界の対処によって、かなり理解者や実作者人口の未来は変わってくるように思われる。
第二は、これ...【続きを読む】
17日のつづき‥【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
川柳がなぜ文芸らしくないのか、その理由として私は次のように考える。
第一に、川柳は数百年の時間を背負った短歌、四百年の伝統のある俳句に比べると、まだ歴史が浅く(ほぼ二百五十年)、理解者層に開きがあり、その数も少なく、実作者も少ない。
第二に、その表現が、例えば俳句と比べて卑近で通俗的であること...【続きを読む】
【評論】川柳は文芸たり得るかー自己表現としての現代川柳ー(野沢 省悟)(柳誌「大阪川柳」(平成9年11月発行 第42号)より)
現在、川柳は様々なメディアで取り上げられ、川柳人口も増大しているようである。しかし、他の文芸(小説・詩・短歌・俳句)の人、あるいは一般の方々から「川柳は文芸ではない」という言葉が時折聞かれ、またそのような漠然とした雰囲気が消えることはない。
では、その「文芸ではない」というところの文芸とは何か。...【続きを読む】
小西幹斉氏とサトイモ&サトイモのカンタン調理法
いただいた野菜に、それをつくった人の高潔な人格を感じたことがある。大げさなことを言うなと故人に叱られそうだが。川柳人・故小西幹斉氏に送っていただいた、土付きの穫れたての立派なサトイモがそれだったのね。ウナる(大げさではありません)ほどの美味。氏は前田咲二先生の親友だった。「幹斉が『あの人は句が上手...【続きを読む】
(2019)川柳塔わかやま吟社7月句会‥《行き場ないこだわりをまだ飼っている》
和歌山商工会議所4Fの句会会場着は12時40分頃だったか。知香、小雪、ほのか、日出男、保州、なる子、よしこ、冨美子、紀子、徑子、大輪、准一、あかね、航太郎の各氏、ほかみなさまとごあいさつ。大阪から多数のご出席。席題は「選挙」。
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[(2019)川柳塔わ...【続きを読む】
川柳、この離れがたい魅力は何だろう⑤(最終)
コスモス(宇宙)というようなものに興味をもったのは十代の初め頃だったか。勉強ができてずっと学級委員などもしているが、なんとなく周囲から浮いているような少女。そんな感じだったかも知れない。よく一人で人のいない川原などを歩いていたりしたのね。
あるとき、自分が自然としだいに一体化していくような感じ、...【続きを読む】
記憶の中の川柳人、小西幹斉氏と中山おさむ氏(前田咲二先生のご親友)
わたしが大阪や京都の句会に出席するようになったのは平成17年の秋ごろ。まず川柳マガジンクラブ大阪句会へ、そのうち誘われてあちこちの句会に出席するようになった。平成19年の夏(8月だったか)、大阪の展望句会で前田咲二先生に初めてお声をかけていただいたのね。
大会にも誘っていただき、お供させていただ...【続きを読む】
川柳、この離れがたい魅力は何だろう④
短歌の5・7・5・7・7、俳句や川柳の5・7・5。短詩型文芸の定型をむずかしく思っておられる方も多いが、実際に試してみると定型のほうが詠みやすいことにすぐに気づくだろう。自由詩のように、「自由に書いてみなさい」などと言われたら逆にむずかしい。
俳句で必須と思われていることの多い季語も、入っていて...【続きを読む】
川柳、この離れがたい魅力は何だろう③
父が国文学者、母が歌人という環境で育ったので、その影響もあり、12歳頃から短歌を詠んでいるのね。音数が限られるなかでことばを紡ぐことに、そのころから慣れ親しんできた。自由詩も書いてみたけれど難しい、しみついた定型の感覚はその頃からのものだろう。短歌は5・7・5・7・7の五句三十一音の形式で表現され...【続きを読む】
川柳、この離れがたい魅力は何だろう②
吟行に出て、〈にんげん〉に触れ〈にんげん〉の関わる景色に触れ観察し、さらにその場の自分のこころと向き合い、数十句に収斂させようとする中で〈いのち〉が弾んでくる。吟行が終われば、疲れの中にも気分はすがすがしい。句を詠むという自己表現を通してこころが解放され、さらに感性が研ぎ澄まされてゆくのだ。思わぬ...【続きを読む】
阪南7月句会(2019/7/7)‥《片恋の残像 読み返す日記》
11時半に車で迎えに来ていただき、尾崎公民館着は12時前だったか。冷房の効いている2F講義室まで。愿、俶子、ひろ子、小雪、英夫、六点、典子、みつ江、保州、康信の各氏、ほかみなさまとごあいさつ。席題は「がっかり」。互選には句を出していなかった。本日の作句、席題を入れて5題51句。
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川柳、この離れがたい魅力は何だろう①
もう19年川柳を詠み続けてきた。人とおなじで、一緒にいた時間の長さにかかわらず相手が見えていなかったりするように、自分が見たいようにしか川柳を見ていなかったりするのではないかと最近思うことがある。
思い込みをもとに会話をすると無意識に人を遠ざけてしまうことがある。川柳もひとりよがりな見方をしない...【続きを読む】
川柳塔社・路郎忌句会‥《かぜになりいまもわたしの中に居る》
久しぶりの路郎忌句会。地下鉄谷町九丁目下車。途中、車内で推敲。近くの英國屋にて11時ごろまで推敲。5題82句。どのくらいこういうことを繰り返してきただろうと、ふと感慨。徒歩5分、ホテルアウィーナ大阪4Fまで。会場右端の、好みの席をゲット。真理子、保州、桂子、ふりこ、俶子、郁夫、久美子、ひろ子、知子...【続きを読む】
(2019)川柳クリニック Vol.19 No.10 (川柳マガジン6月号から転載 川柳クリニックDr.たむらあきこ) 予備句(掲載なし)も書き加えております
原飾り過ぎだよ落款がむず痒い 市村 禎雲
「ヘタクソ」では少々品性に欠けるとも思うが、ズバリと言うことでインパクトのある句に。
添ヘタクソの画へ落款がむず痒い
原セシウムに耐えてる土に遅い春 丸山 孔平
「遅い」というより、巡ってくることすら覚束ない「春」。
添セシウムの土へ遥かに遠い春
原...【続きを読む】
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