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   11月23日の名古屋での吟行は熱田神宮&白鳥古墳に絞った。熱田神宮吟行を決めたのは、つぎの畏友小堀邦夫氏の詩から。

あつたの杜の木漏れ日をひとつふたつと拾いつつ、神の御前(みまえ)に額突く。
すずしい秋風が通りすぎ、今日一日が清まったやろ、と小鳥たちが囀っている。

   22日朝6時3分発の南海特急サザンで難波まで。近鉄で名古屋まで。尾張瀬戸到着は12時7分。パルティせと4Fでのフェニックス川柳会に出席。

 22日は、そのあとまっすぐ栄に予約済みのホテルまで。当然疲れているだろうから、翌日の吟行に備えてしっかり休息。下記は、熱田神宮と白鳥古墳についての資料。


熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社。三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。なおこの剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり、形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている。

主祭神である熱田大神について、熱田神宮は「三種の神器のひとつである草薙神剣を御霊代としてよらせる天照大神」とする。すなわち、草薙神剣の「正体」としての天照大神をいい、いい換えれば、草薙神剣そのものが天照大神の「霊代(実体)」としての「熱田大神」である。

『尾張国風土記』逸文には、日本武尊が宮簀媛に草薙神剣を手渡す際に自らの形影(みかげ)とするようにと言い残したとあり、奈良時代には日本武尊を草薙神剣の正体とする見かたがあったともいわれる。

平安時代以降は、伊勢の皇大神宮(内宮)の祭神である天照大御神を草薙神剣の正体とすることが通説であり、このことで伊勢と熱田は「一体分身の神」を祀る神社であり、日本国を支える2柱であるとされてきたのである。

熱田神宮は「熱田さん」の名で古くから崇敬を集めている。創建は景行天皇43年(113年)。拝殿の奥に見える社殿が本殿で、ここにご祭神である熱田大神が鎮まる。

草薙神剣とは八岐大蛇の尾から出てきた太刀で、正式名称は天叢雲剣。皇位継承の印である三種の神器のひとつとして日本武尊に授けられた。日本武尊が賊によって焼き殺されそうになったとき、神剣が、草を薙ぎ倒して事なきを得たことから「草薙神剣」と呼ばれるようになった。日本武尊はこの草薙神剣を現在の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県で没した。

熱田神宮の最奥部、神聖な場所として一般の立ち入りが禁止されていた一之御前神社。熱田大神の「荒魂」が祀られている同社が、2012年から公開されている。荒魂とは、神様の穏やかな姿を和魂と呼ぶのとは対極のもので、勇壮な神威を表されるはたらきを讃える言葉。「こころの小径」が本殿から続く。
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白鳥古墳は、考古学的には、被葬者は尾張氏首長と推定される。熱田神宮社伝では、日本武尊の陵としている。これは、能褒野に葬られてのち白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づく。神宮では、北方約300メートルにある断夫山古墳を「陀武夫御墓」と称して日本武尊妃の宮簀媛(みやずひめ)の墓とし、現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭を行なっている。

本居宣長は当地を訪れた際に、「しきしまの やまとこひしみ 白とりの かけりいましし あとところこれ」と歌を詠んだといわれ、その歌碑が公園の堀川側の入口横に建立されている。



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