いちどだけ、あきこの句を誌上で批判されたことがある。川柳番傘2014・8月号の「柳論異論」。ファクスで送ってきていただいたのは、O氏。「今届いた 川柳番傘 に右の記事がありました。先生の句への批判に憤慨よりも情け無く思いました。」とのコメントを付けていただいていた。8年ほども前のことになるが、いまはどう受け止められるだろうか。下記は、全文。(批判大歓迎♡)
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これでいいの? 疑問に思うことあれこれ 〇〇 〇〇〇
昨年(平成26年)の和歌山県大会の「橋」で、最優秀で選ばれた句
橋の下洗濯物が干してある
和歌山三幸川柳会第四〇〇回記念川柳句会(平成26年)「三」で、一席に選ばれた句
三叉路のいつか卵胎生になる
第26回国民文化祭・京都2011「野菜」で特選に選ばれた句
キャベツからあなたは誰と聞かれてる
大会で特選や一席に選ばれた句ですから、優れた句なんでしょうが、なぜか私にはそう思われないのです。
「橋」の句はそれがどうしたという感じです。奥行やアイロニー(皮肉や風刺)そして人間模様が見えて来ないのです。
「三叉路」は句の内容が全く理解できません。三叉路と卵胎生がどう繋がるのか、教えてほしいものです。難解句の最もたるものといえるでしょう。
「キャベツ」の句も同様に難解というか、意味不明。上五をほかの野菜に入れ替えてもいいような気がします。キャベツでなければならない理由がわかりません。
亀山恭太氏が『川柳の作り方』の中で「ひどい場合は全く意味不明のクイズのような句になる」ことに警鐘を鳴らしてくれています。
短詩形文芸の川柳は単なる語呂合わせでないのです。それゆえ、洗練された言葉を選び、人間の喜怒哀楽を鋭く一句に仕上げたいものです。
しかし、いい恰好の言葉を連ね、「作者の言わんとする点が明確でない句」「内容を忘れて言葉飾りにうつつを抜かしては困る」(亀山氏)ということを、肝に銘じて作句の指針としたいものです。
みなさんの感想やご意見をお聞かせください。
※参考文献 雑誌「川柳番傘2014・8月号」P119~120 (原文ママ)
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この一文を書かれたのは、まだ川柳を始めて間もないかただと伺ったような気がする。いまも川柳を続けておられるだろうか。じつは、3句挙げられたうちの2句目があきこの句(代表句の一つ)なのね。
この句を一席に採っていただいた故日野愿氏の名句評がどこかにあると思うので、見つけたらアップさせていただきたい。(いまゴミ屋敷?を掃除中なのね。この一文も掃除中にでてきたもの。)
あきこさんこんにちは。ブログを毎日読ませてもらっています。
番傘誌上の投稿者と正直私も同感です。
あきこさんの句で言えば、三差路は交差点では駄目だろう。卵胎生の動的なイメージは確かに三差路的だ、程度にしか理解できません。全体として何の喩なのかが、さっぱり分からないのです。また御教示ください。
それよりも、あきこさんの句を一席に採ったのが日野すなお(漢字が出せません)氏なのに感動。実は氏の存在を、以前のあきこさんのブログで初めて知ったのです。
野を行けば野に背かれている独り
男のナルシシズムがぷんぷん。大好きな句です。実にかっこいい。日常茶飯のちまちました句より、こういう大見得を切った句が大好きです。是非、日野さんの句評を読みたい。「ゴミ屋敷」を徹底的に探して、アップしてください。
越智学哲さま
>「ゴミ屋敷」を徹底的に探して、
ほんとうのことをハッキリ言っちゃダメよ、笑。
書籍だらけ、句など書き散らした紙だらけ。
もう長いこと人を招けないのね、とほほ。
で、まず捨てることから!
33年も住んでいると、2LDKなんてそんなもん。
でも、住みやすいのよ。
静かだし。
ところで。
わたしが書くより、日野愿さんの句評がよかったのね。
まず、実際に三叉路に立っていただければ。
直感的に「卵胎生」がでてくるのではないでしょうか。
卵生でも胎生でもない、卵胎生の「曖昧な怪しさ」のようなもの…。
>野を行けば野に背かれている独り
男性として見ても、知性派のなかなか格好のよいかただったと思います。
生き方が句に表れていますよね。
学哲さんもちょっと似ておられるのでは?
越智学哲さんと同意見です。
番傘誌の批評は当を得ていると思います。
批判されるのは注目されているからです。
故柏原幻四郎さんがよく言っていました。
「褒められなくてもいい。批判されてもいい。大切なことは注目されることだ。注目されれば議論がおこる。それが大事なんだ。一番ダメなことは無視されることだ」
上野楽生さま
なんと、お久しぶり。
お元気でいらっしゃいましたか。
いろいろなご意見があって当然だと思うのね。
川柳には論壇らしきものがあまり見当たらないので。
いろいろと議論があっていいと思います。
もちろん、あきこ的には俎板のコイです、笑。
句は作者を離れて一人歩きするものですし、どう料理していただいても(あきこは)いいのね。
それを読ませていただくのも、川柳の楽しみ方。(*^^;)