葬は要らぬ骨は拾うなまして経 日野 愿
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死への覚悟、世を容れぬ孤高。句に窺える諦観。作者は自らの「葬」に触れる。既存仏教のどこか薄汚れた葬に自分の亡骸を委ねたくないという、こころの叫び。骨を拾えばさらに納骨へ続く儀式が待っている。どこか胡散臭い、俗のにおいのする葬式などはしてくれるな、「経」も要らないと。(たむらあきこ)‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥‥‥‥………‥‥‥
「先生」と呼ばせていただくと、「先生じゃない」となんどもおっしゃったのね。でも、これから愿さんのことを書くときは先生と呼ばせていただく。ホンモノの先生でした。ほんとうに残念。でも、先生、お会いできてよかった。ありがとうございました。
上の句は八年ほど前に鑑賞(番傘とらふす・啄木鳥抄鑑賞)させていただいたもの。句会大会で、わたしの句をよく(つねに)秀句にとってくださったのね。下記は、その一部。
哲学をだんだん近くする柩 (日野愿選 「近い」 天)
唇という部品で恋を測りあう (日野愿選「部品」 止めの句)
チェックしたことに問い返されている (日野愿選 「チェック」 止めの句)
天分という雫も荷物かもしれぬ (日野愿選「天分」 止めの句)
日常と地続きの夢積みあげる (日野愿選「ぎっしり」 止めの句)
他人を刺すコトバ気楽の貌が言う (日野愿選「気楽」 天)
わたくしに古風が黴として残る (日野愿選「残る」 天)
三叉路のいつか卵胎生になる (日野愿選「三」 天)
常温の世話へ確執とけてゆく (日野愿選「世話」 天)
ポーズもつけてすこし役者で生きている (日野愿選「ポーズ」 止めの句)
前衛が狙うとずれる座標軸 (日野愿選「狙う」 止めの句)
面取りをしてから風が掴めない(日野愿選「のっぺり」 止めの句)
わたしの中の鬼がわたしを騒がせる (日野愿選「にぎやかなこと(読み込み不可)」 天)
喘(あえ)ぎながら蛇口をひらく熱帯夜 (日野愿選「切羽詰まる(読み込み不可)」 天)
逝ったひとを踏む忘恩の影だろう (日野愿選「許せないこと(読み込み不可)」 秀句)
月の下 やっとわたしの過去も澄む(日野愿選「下」 秀句)
肩に重みかぶさってくる古戦場(日野愿選「怪しいこと(読み込み不可)」 天)
笑いかけているのに沈黙が返る (日野愿選「怪しいこと(読み込み不可)」 秀句)
人になる前に摘まれてゆくのです(日野愿選「かわいそうなこと(読み込み不可)」 天)
これも答のひとつで神を捨ててくる(日野愿選「スカッとすること(読み込み不可)」 秀句)
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あきこさん、おはようございます。
毎日、ブログを熟読させてもらっています。
今回のあきこさんさんの句と、日野さんの選には、課題からかくも深い内容の句が詠めるのかと目を見張る思いがしました。私は課題があるとその課題にとらわれ、三段論法的な一本調子の句しか詠めません。あきこさんのように、「天」から「古風な黴」、「近い」から「哲学 ~ 柩」など、なるほど発想をそこまで飛躍させるのかと感銘しました。
また「読み込み不可」の課題は詠んだことがないのですが、これは難しい。喩で自己の内面を詠むのが得意なあきこさんの独擅場だろうと思いました。
暑いなか大変でしょうが、発信を続けてください。
四国の片田舎で、熱く読ませてもらっています。
越智学哲さま
ありがとうございます。
わたしも、熱~くあなたのことを思っているのよ(笑)。
正確には、思っている数人のなかのお一人。
学哲さんのような、知性派の句を詠まれる方が少ないのね。
是非、そこを伸ばしていってほしいのです。
入選してもしなくてもいいと。
尾藤三柳先生は、わたしがまだ川柳マガジン文学賞を受賞していないということを申し上げると、「えっ、まだとってないの!?」と吃驚しておられたのね。
尾藤先生には毎回圧倒的に上位、まったく信じられないようでした。(先生はどうやら結果として受賞者がだれであるかには興味がなかったようで、ごらんになっていなかったのね)
すべての選者の選がいいとは限りません。
そういうことなので、入選してもしなくてもいいから、初期の学哲風をくずさないように詠んでいって下さい。
学哲さんの句を採るかどうかも、選者の力量にかかっているのかも知れないし。
どうか、がんばってください。
選者とか、句会に合わせる必要はありません。
思っておられることを、ご自分のことばで詠むだけでいいのです。
どこにもない句を目指してください。
また、評論にも賞がありますから、川柳の過去・現在・未来を抉ってみて下さい。
コロナが一段落したら山頭火吟行、そちらのほうにもまいります。
お目にかかれるかもしれませんね。
こんばんは ご無沙汰しています。
昨日のブログを見て、思わず「えっ」と声が出て、震える程の衝撃を覚えました。
阪南句会に出席させていただくようになったのも、愿さんがいらっしゃったからです。
亡くなられたと知り、真っ先にとらふす・啄木鳥抄の上記の句が思い浮かびました。
雲の上のような存在の方で、直接お話するのも恐れ多かったのですが、句会後に何度か車で送らせて頂き、お話できたことを嬉しく思います。愿さん、今までありがとうございました。安らかにお眠り下さい。
あきこさん、ブログをお借りして失礼いたしました。
送っていただき ありがとうございました 多くの方々に大変お世話になりました
こちらこそ お世話になりました。乗っていただくだけで光栄でした。
もうお会いできないのが残念です。
知香さま
愿先生の阪南句会に初めておじゃましたのは、2018年8月。
それから、ほぼ毎月知香ちゃんの車で出かけたから。
15回か16回くらいかな。
なかなか工夫のある句会で、さすが愿先生が指導されているだけあると感銘を受けたのね。
先生の笑顔が浮かんできます。
お願いしたら、車の中で民謡を熱唱してくださって。♪(*^O^*)♬♫
ほんとうに素敵なかただったと思います。
もし「偲ぶ(句)会」などがあれば出かけていきたいと思っているのね。
そのときは、一緒に行こうね。
はい、素敵な方でした。偲ぶ会があれば、是非ご一緒したいです。