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父のカシミヤの手袋が四十年ほど経って、穴が二つ空いた。/春一番の吹く今夜、指先を繕う。/これで明日早朝、墓参に出かけられる。
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悲しい別離の重なる年がある。/雪や霰(あられ)と共に去ってゆく、花咲く春が待てないと言うように。
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あしたからもうあなたはいない。/わたしは多分あしたを生きる。/あしたからわたしがいなくなる日まで、あなたのことを忘れず。
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何もかもが利権や低俗に支配されてゆく。/記憶の大半がどんより、どんよりと汚れてゆく。/明日には伝えよう、塩と水で頭の中はすべて清めたと。
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無風の三月十五夜の月明りは、やわらかに夜をむぁーん、もぁーんと包んでいる。/父母の御霊(みたま)に御酒(みき)御食(みけ)をたてまつる、御灯(みあかし)二つともして。
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ずい分と多くの思い出を紡ぎ、今日を歩いている。/夕暮れて帰宅する人たちの声に耳をそばだてていた芭蕉が慕わしい。/春も秋も同じ夕暮れ。
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 以下、筆者の〈あとがき〉から。
 拝欧主義を美徳と勘違いしたのは、明治の脱亜入欧スローガンのもとに集まった人々だけではなく、戦後が終っただろうのちの私たちもまた遠い未来の富を収奪することに陥っていることを忘れ、グローバリズムと名を変えた拝欧主義をよしとし、大地から生えてくることのない情報、水のように循環しない情報に溺れつつあるように思います。
 
 新年号の時代はどうしたら遠い子孫たちから少しでも富を奪わずに済むかを考えることが第一義となるでしょう。言いかえれば、人類の時々刻々の営みを石油に換算してみた上で、どこまで地球環境の健全を守り得るかを検討する時代でもあります。そしてそのためには、何かを心静かに決心して断念してゆく日々に耐えなければならないでしょう。それは決して暗くみじめな時を過ごすことではありません。むしろ大きな希望と広がりのある安心へと向う決意に満ち満ちてゆく日々であると信じます。…(『一年日詩 ほくほく改元万世開運詩集』より)



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