先日、ある席で出た話。大会の発表誌などを通じて表に出た句にはもちろん選者がおられ作者がおられるので、ごく個人的なブログは別としてこの(新葉館出版の)ブログには(句についての)批評を書きにくい。著名な先人の句について書くことはできても、なかなか(出版社の立場もあり)ここに書くことはむずかしいのである。したがって、当然ながら選者名と作者名は伏せさせていただく(実は、覚えていない)。
橋の下洗濯物が干してある
上記の句は、以前ある大会で秀句に採られた句。この句についてあまり柳歴は長くない(?)方からの、どうしてこの句(ほか2(?)句)が秀句に値するのかという疑問の一文がある柳誌に掲載されたようなのである。下記はそれについての話。句の選者名と作者名は双方(相手は革新派の著名な柳人)が知らない。
「写生句(ということ)に(も)ならん。見つけがない」
「どんなふうにしたらよくなるのかな?」
「橋下にシャツもホッケも干してある」
「なるほど。それでもたいしたことないな」
「そう、たいしたことない」
「『橋下』はちょっと無理があるのでは? そこは『橋の下』」
「『橋下』でいい」etc.
一般に秀句にどの句を採るか、そこに選者の力量が出る。柳歴のあまりない方でも、疑問に思ったら率直に問うてみられたらよいのである。肯定あり否定あり、たぶん率直にいろいろな答えが返ってくる。それが川柳という文芸に向かう姿勢でもある。
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