昨日23日は父の月命日。お盆に備えて早めに掃除をと、実家へ。
その前に、メールを頂いていたDさんと紀の国大橋近くの喫茶店カノンで3時にお茶を約束。
7年前の父の遺作展では受付ほかでお世話になった。絵を描いておられるが、その絵が全国的な公募展で2年連続すこぶる高い評価を受けた。
「先生の手が入ると絵が駄目になるのよ。先生が直したところはすぐに消すの」と。少しばかり通った教室はそんなことでやめたらしい。そのあとはどの先生にもつかず、ひとりで描いておられる。この話、川柳にも同じことが言えるかも知れない。
半端な添削は却って原句を損なうことになる。Dさんのように才能ある人の絵も、半端な先生に弄られると、レベルの高い公募展での高い評価には繋がらなかっただろう。カノンのミックスジュース、コーヒーに満足しながら、よいお話ができた。5時頃まで談笑、実家へ。
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父の死後そのままにしている実家には、庭の手入れをお願いしているHさんが植えて下さった花が満開。門を入ると花畑状態。屋根の修理が済んだばかりである。築45年だが、土壁檜材の家なので、屋根さえ直せばこれからまだ何十年ももつらしい。
浜木綿。水遣りが出来ていないので、すっかり痩せてしまった。
銀木犀。すっかり蝉の家状態。
庭掃除ほかを入念にして、そのまま実家泊。
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本日24日は高校の同級生3人でおしゃべりの予定。KさんとふたりSさんのお宅におじゃまさせていただくことに。近くのスーパーでわらび餅を3人分買っていく。Sさんの淹れたプロ並みのコーヒーを味わい、Kさん持参の水餅も頂く。旅行の話やら葬式の話やら。広い応接間で、3時から5時頃まで談笑。次回は10月、うち(実家)に来ていただくことに。
自宅マンションに帰ってから、咲くやこの花賞「太陽」の集句を最後までパソコン清記。
自分を持っている人ってすばらしいですよね。
その方が絵の教室から離れた理由を、先生は知っているのだろうか?
体操選手の話デス。その選手の父親は、彼が幼い時、強烈なスパルタで彼を指導していました。ある大会で失敗を重ねる息子の尻を何度もその場で殴りました。しかし、どうしても彼は、良い時悪い時とばらつきあり、いっこうに進歩が見られません。そこで父親は、自分の指導方法に問題があるのではないかと反省し、彼を自由にさせてみました。すると彼はグングン素質がのばし、今やこのロンドン五輪で金メダルに一番近い人間と言われる人になりました。
彼の名は、内村航平くんです。
作品を添削することは、人間を添削することに繋がります。
素質のある人を添削しては絶対いけません。それを見抜く力が先生には必要なのだと私は思います。
ところで、私の「自分」は旅にでたまま、なかなか帰って来ず、ひたすら捜索中です。o(;△;)o エーン
りょーみさすけさま
毎日暑いね~。はへぇ。
添削は、どうしても、と頼まれたときだけすることがあるんですけどねー。やはりご自分でがんばっていただかないと。
苦労してなんぼの世界ですもん。安易に答を手に入れるとあとが続きません。結局はオリジナリティー、ほかの芸術分野と同じく。
自分探し(捜し?)ごくろーさま(暑いときはやめておこう、バテルから)。