9月号「わかくさ集」鑑賞
瞬間の景色を剥がすカメラアイ 田中 新一
「撮る」ではなく「剥がす」という言葉を選んでいるところが、斬新。
離れ難い遺影の前に布団敷く 油谷 克己
残された者と死者が同じ部屋の空気を分かち合っているようで、胸が熱くなる。「遺影の前に」布団を敷くという、この配置だけで故人はいまもそこに居る者として扱われている。布団を敷くという行為は眠るためだが、同時に故人に寄り添うための準備なのだ。
ほろほろと人想う酒ほろほろと 桑原ひさ子
「ほろほろと」は酔いのほどけ方であり、人を想う心のほどけ方でもある。その両方が同じように揺れている。前半と後半の「ほろほろと」が鏡になっていて、真ん中に「人想う酒」が沈む。「ほろほろと」の反復は余韻の往復。飲むたびに想う人が浮かび、消える。
気が付けば紆余曲折が積んである 辻 肇
「紆余曲折」という抽象語を、物理的な積み重なりとして扱っている。人生の迷路や迂回を紙束のように目の前に「積んである」という具象化。「積んである」だが、誰が積んだのかを言わない。自分が積んだのか、時間が勝手に積んだのか、あるいは気づかぬうちに心の隅に積み上がったのか。曖昧さが句を深くしている。
遠花火ポツンポツンと過去が来る 小代千代子
「遠花火」と「過去」が呼応。遠くの花火の間欠的な光と音が、過去の記憶の断片の立ち上がりと重なっている。「ポツンポツン」の擬音は、花火の音というより記憶の点滅。遠花火は遠い時間の呼び声になっている。
ボランティアに頭を垂れる画面越し 瀬川 幸子
「頭を垂れる」という敬意の所作が、 画面越しという現代的かつ非接触の距離に置かれている。ボランティアは、本来現場で汗を流す人の姿があってこそ頭の下がる尊さが際立つ。しかしここでは、彼らは画面の向こう側にいるのだ。
おまけの齢を後生大事にして生きる 森 廣子
「おまけの齢」という言い方が絶妙。日常的な語彙で肩の力を抜きながら、そこに感謝と覚悟が滲む。「おまけ」は本来なくてもいいもの、ついてきたら嬉しいもの。その軽さをあえて使うことで、逆に齢の重さが際立つ。
せまい路地行き交う傘の上下する 田川ミクニ
「傘の上下」という、小さな動きに焦点を当てている。人そのものを描かず傘だけを描く。傘の高さを微調整する所作、それはすれ違うときの譲り合い。そのわずかな動きが句の情緒を支える。
地球からしっぺがえしかこの気候 切山 靖子
「しっぺがえし」という語の選択がよい。大げさな罰でも報復でもなく、ちょっとした痛みを与える程度の反撃。その軽さが逆に気候変動の深刻さを浮かび上がらせる。
葬式にも来ない息子でも息子 石丸美砂子
「葬式にも来ない」という事実よりその後の「でも息子」の重さ。事情か断絶かそこを説明せず、それでも息子は息子と受け止める。親の側の諦めとも受容ともつかない感情。
振り向けばあれこれ過去がなだれ込む 阪本 秀子
「なだれ込む」という強い動詞の選択。過去は本来静かに思い出されるもの。しかしここでは、自分の意思とは関係なく、向こうから勢いをもって押し寄せてくる存在として描かれる。その圧力が胸に残る。
いつからが老後か手摺り持ちながら 片岡 加代
老後は年齢ではなく、ある瞬間の身体感覚によって始まるという気づき。手摺りは支えであり、同時に「自分の身体が以前ほど軽くはない」という事実の象徴でもある。その気づきが、問いの形でそっと置かれている。
捨てて来たはずの田舎を夢に見る 穐山 常男
「捨てたはず」と言い切っているのに、夢の中にその田舎が姿を現すという矛盾。具体を言わず、ただ「田舎」とすることで読み手それぞれの原風景が立ち上がる。夢は意識下の領域。
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