難解句に思う 越智 学哲(愛媛)
川マガ八月号で、たむらあきこ氏が難解句鑑賞の任を終えるに当たっての総括をしている。柳歴浅い私の浅薄な理解かも知れないが、難解句の本質を衝いて間然する所がない。「簡単に理解される川柳だけがよいとはとても思えない。表層だけを詠んだ句なら、いくらでも転がっている。そこに何の魅力も発展もない」と、小気味よい断定である。勿論、氏の柳歴の裏打ちがあってこその説得力である。
全くの同感なのだが、私などが書けば初心者の妄言の一言で退けられるだろう。また氏は留保も忘れない。「ただ、難解さも〈人間存在〉の深層にせまるものでなくてはならない」。周到な論理展開である。
若い頃に「存在の耐えられない軽さ」というベストセラーがあり、その題名の斬新さに驚いた記憶がある。今、一方の潮流である「川柳の耐えられない軽さ」に、難解句は楔を打ち込むものであってほしい。
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川柳マガジン「柳界ポスト」は読者のみなさまからの投稿欄。次は、11月号発表の懸賞川柳「音楽」での氏の入選句。《輪唱にのれない恋はつむげない》(小島蘭幸選)。句を拝見しても、ご自分(だけ)のことばをすでにもっておられる。氏のこれからに期待させていただきたい。
あきこさん、おはようございます。
昨日はあまり時間がなく、毎日欠かさずあきこさんのブログはテェックしているのですが、今朝になって初めて気付きました。いつも過分の評価と温かい励ましありがとうございます。川柳はとうてい水準に達していないと思っていますが、柳界ポストには物おじすることなく、自分の川柳観を発信し続けたいと思っています。
本当にありがとうございました。
越智学哲さま
>川柳はとうてい水準に達していないと思っていますが
いやいや、あきこの眼をあまく見ないように(笑)。
柳歴の関係で、詠まれた句がまだ少ないわけですが。
ご自分の川柳ができているのね。
どこにでもある、器用な川柳なら“水準”に達しやすいわけですが。
そうではないのね。
だから、今回も、小島蘭幸という当代のすぐれた選者に入選しているわけで。
懸賞川柳は応募句数が多いので、他の選者には見逃されたのかもしれません。
それと。
文章がいい(失礼)ので。
いま考えておられることで、川柳論を書かれることをおすすめします。
そうした作品も、応募する場(賞)があるのね。
おっしゃっていることが正論なので。
句も、初めはとっつきにくく感じる方がおられるとは思いますが。
いまの線を譲らないようにしていれば、いずれ新しい潮流として人のこころを掴んでいかれることでしょう。
じつは、あきこの川柳も最初はいろいろと言われたのですが。
あきこの川柳をまず認めてくださったのは、尾藤三柳師と前田咲二師。
お二人ほどの方がどこにでもおられるわけではないですが。
自分のことばで詠んでいるうちに、どこにもない”あきこ川柳”として認められていったのね。
がんばってください。
妥協しないで、“越智学哲川柳”とでも言うべきものを確立なさってください。
力強い励ましのメッセージ、返す返すもありがとうございます。
武者震いする思いです。妥協することなくやっていきたいと思います。
越智学哲さま
>一方の潮流である「川柳の耐えられない軽さ」
これは、二十年前にあきこの感じていたこととおなじ。
前田先生はえらい方だったので、あきこがそういうことを言ってもすべて受け入れてくださったのね。
「あんたの言うてることは、正論や」とおっしゃって。
このブログにも何を書いてもいいと。先生のことも何を書いてもいい、それを見せなくてもいいと、すべて許してくださったのね。
あのふところの深さを思うと、涙が出てきます。
自分を曲げないでいいのよ。
よいと思った川柳を詠んでいってください。