5時半起床、ストレッチ、朝食(黒糖ロールパン、ヨーグルト、納豆、リンゴ、バナナ。リンゴ、イチゴ、キンカン、黒酢、ネーブル、牛乳、コーヒー、甘栗)6時半完食。
6時半、新聞スクラップ切り取り整理。8時半までing。
8時半GG。19,22,22、63。11時まで
11時から昼食は外食、讃岐製麺(ざるうどん、てんぷら、エビと薩摩芋)12時半。散髪して帰る。
14時まで新聞スクラップ整理終える。
14時から夕食準備16時から相撲観戦
観戦しながら17時から夕食。(お粥、コロッケ、甘栗、焼き芋、白菜の漬物など)18時半終了。
18時半川柳ひろば編集21時まで。
21時からデスクワーク21時半まで。
22時就寝。
歩数計は3.618歩
Loading...

















































私は60歳の定年退職まで転職を一度経験しました。その最初の勤め先が後に破産してしまったのです。新しい勤め先を紹介してくれたのが転職前の会社の社長さんでした。「辞めないであのままいたらどんな人生だったろうか」。栓もないことですが、ふとそんなことを考えました。
私は中学卒業した昭和23年に、今のJAの前身、農業会に、月給500円で入り、金融係の紙縒りや、食料品の配給の手伝いして1年、都合で今いる、広島県の三原市で、紡績工場に17歳で入り、寮生活をし2千700円の旧臘でした。20歳の時定時制の夜学に入り、3年生の特レッドパージで首になり、担任の先生の世話で土建屋の事務員として入り。月給八千円でした。事務員とお行っても私一人で、今まで面倒を見ていた人の世話になりながら事務をやり、分からにことは役所や税務署に行って聞きながら仕事を覚えて行きましたが、何せ小さな会社。時には現場で手伝いをするようになり、現場の仕事を熱心にするようになったが、そのころになると、道路で仕事をしていると、前、居た会社の人と逢うと隠れるようになりましたが、、それではいかん、三原で一番の土方になろうと決ししました。丁度そのころ土建屋も資格制度が取り入れられるようにまり、一つづつ取って経験で取れる最高の一級土木施工管理技士を取得し、定年70歳まで働かしていただきました。長々すみません。