わたしの吟行先は、とくに名所・旧跡というわけではない。観光地の説明に終わるような嘱目吟では、たとえ何百句詠んだところで仕方がないだろう。出かけるのは、なるべく平日にしている。土地の素顔が見えるからである。ほとんど人の歩かない路地に足を踏み入れることもある。そこで五感に触れてくるものをさっと切り取って表現に結びつける。
一生をかけて自分を創っていくのが私たちの生である。絵画であれ音楽であれ、さまざまな状況の中で、自分と不可分といえる表現手段をみつけることこそ幸福なのである。川柳に生きがいをもらっていることをしみじみありがたく思う。自分を見つめる手段としての吟行を続けて、やはり川柳との出会いは運命的だったと思うのである。
下記、江戸時代、松尾芭蕉が東北・北陸を旅したときに記した紀行文『おくのほそ道』冒頭、漂泊の思いを書いた有名な部分。
【原文】
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日ゝ旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。
【現代語訳】
月日は永遠に終わることのない旅人のようなものであり、来ては過ぎゆく年もまた旅人である。川を行き交う舟の上で人生をおくる船頭、馬の口をつかまえて老いを迎える馬借などは、毎日が旅であり、旅をすみかとしている。昔の人も、多くが旅をしながら亡くなっている。
旅に生きた俳諧師、松尾芭蕉。五七五の十七音に生涯をかけ、俳諧を芸術の域にまで高めた。上記『おくのほそ道』冒頭の文は、移りゆく歳月は旅人であり、人生は旅そのものであるという哲学だろう。川柳の吟行も思いは変わらない。