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 2013年(平成25年)頃から川柳の一人吟行を始めたが、いままでに詠んだ一万数千句の中から『たむらあきこ吟行千句』をまとめあげた。

 吟行は、故・墨作二郎氏の「点鐘散歩会(てんしょうさんぽかい)」参加に始まる。墨作二郎氏から直接のお誘いがあり、初めて点鐘勉強会に行かせていただいたのが2006年(平成18年)だったか。制限時間15分の出句無制限で、席題3題ずつ、第1ラウンド、第2ラウンドと計6題の作句。15分でだいたい20句くらいは詠んだかと思う。スリリングかつエキサイティングな経験を毎回積ませていただいた。すぐに点鐘散歩会へも参加させていただくようになった。

 多作はこの会への参加をきっかけとして始まった。あまり頭を通さないで、直感的にことばを拾って書き留めていく作句法。ただ推敲の時間がないのが辛かった。句作に関して完全主義的なところがあり、納得していない句がたとえ勉強会といえどもそのまま清記され、互選に移ってしまうのが辛かったのである。それでも点鐘散歩会で身に付けた多作は、句会大会の兼題席題の作句にいまも大いに役立っている。

 時間があれば句が詠めるというものではない。むしろ、句会当日の短い時間帯での作句のほうが集中して詠める。当日起床後すぐ、その辺の使用済みの紙の裏に兼題を書き出す。兼題を類語辞典で引いて、置き換えられることばや熟語をいくつか書き出してみる。例えば、兼題が“的”なら“標的・目印・狙い・対象・目標”などを書き出しておく。これらはただ着想を得るためのもの。眺めて、5句ぐらいはすぐに思い付くが、発想がたちまち枯渇するので、頭の中にふだんから別のことばを溜めておく。辞書や小説でもいい、どこでも目に付いた気になることばはその都度溜め込んでいく。それらのことばを掛け合わせることによって無限の発想を引き出すことができるのだ。

 文芸川柳であるから、ことばの選択にはやはり気を遣わねばならない。句に品格が備わるか否かは、ことばの選択にかかっている。野卑なことばを遣って内容に品格をもたせようとしても、だいたいは無理なことである。もちろん、品格などは要らないという考え方もある。何を詠みたいのか、まずは自身の創作のテーマをもつことだろう。
 
 辞書によると、吟行は詩歌を吟詠しながら歩くこと、 和歌や俳句の題材を求めて名所・旧跡などに出かけることとある。川柳で吟行というのはいままであまりなかったのではないか。〈にんげん〉を詠む川柳は、名所・旧跡とはとくに関係がないと思われてきたのかも知れない。しかし、点鐘散歩会は名所・旧跡へ行っている。つぎは、墨作二郎氏のことば。(「点鐘」雑唱点鬼簿へんしゅうこうきより)
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川柳句会の多くは依然として昔のままである。発表される作品に変化がないのは、変化することに臆病な空気と優れた指導者が居ないからである。唯年数を重ねただけの者が頑固に居座って居て、折角の思いや自由な表現を抑圧しては旧態に引き戻しているからである。私達が文芸の中の川柳を選んだ理由の一つは自由な心、自在の表現があると思ったからである。間違った指導と気付かないで川柳句会が続くとすれば、この上なく不幸なことである。全国的には若い作家の台頭があり優れた作品活動が展開されている。彼等は旧態の川柳を知らないし知ろうとはしない。これからの川柳は、常に新たな展開があって良い。忘れられる者と生き残る者が判然とする。今を分かって欲しいと思っている。
 
選者の責任で作品が選ばれる。ならば選者として考えて欲しいのである。内容が悪ければ責任は果たせない。選者は今以上に川柳を思い、良い作品を書くべきだと思う。作品を持たない選者に他人の作品が見える道理がない。そんな偽選者が居る限り川柳は良くならない。
 
この先の川柳は新しい「形」に切り取る工夫にある。現実にあるものを形に押し込むのでは内容は知れたもの、感銘は残らない。



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