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祖父の句集をひらく 加藤当白

 生まれて初めて見たものを親だと思う、という習性。私にとっての川柳とは、祖父のそれだ。

 平成元年、『天翔ける夢』と題した句集を祖父が出版した。前年に傘寿を迎えた祖父の、生涯に一冊の句集だ。同居の祖父が川柳をやっていることは子供ながらに知っていたが、私が自発的、意識的にこれを読み始めたのは、それから何年もたった大学生の頃。祖父が他界した悲しみを紛らわせるべくしてページを繰っていったのだが、だからといって川柳というものへの関心が高まることは特になかった。それがついこの5年ほど前から自分も川柳を始めることになろうとは、当時は思いもしなかった。

 祖父・加藤當百(当百)は明治41年、山梨県は現在の南アルプス市に生まれた。句集の柳歴によると、大正13年、16歳の頃に村立青年学校にて川柳と出合う。その後、昭和7年に県内の川柳大会にて井上剣花坊先生を知り、13年に応召先の千葉県国府台陸軍病院にて、阪井久良伎先生に柳多留の講義を受ける。55年より県芸術祭選者、57年10月からの2年間、日本川柳協会常任理事を務めたとある。

 生まれて初めて見た川柳ならぬ、初めてこういうものかと認識した川柳は、私にとってはやはり祖父の川柳だ。そしてそれはいまでも私の原点であり、これからもそうだろう。この度、収録句2,600ほどの句集をあらためてひらく。そこから、私が感じる祖父らしさのある句を拾い上げてみた。あの世の祖父はなんて言うだろうか。

『天翔ける夢』 加藤當百

駄々っ子の寝付いた手から桃が落ち
子供等も知ってた米の配給日
紙芝居飴を買わぬ子遠く居る
襲名は墓に聞きたい事ばかり
腹這いの鼻に冷たい岩清水
熨斗を張り替えて妻には妻の知恵
事なかれ主義を若さが憤り
抜擢のきっかけとなる隠し芸
旅終えて大河音なく海に入る
残り火をかき立てて行く罪な風
大風呂敷包んで帰る小風呂敷
大安の佳き日に餌を忘れられ
御自慢の子は大学で石を投げ
詐欺漢と知らず座布団などすすめ
丹精の期待にそむく色で咲き
天皇がどうのこうのと風寒し
潔く散らぬ桜を汚がり
萬骨は枯れ一将も絞首刑
闇リュック巡査も欲しい物ばかり
婆ちゃんの風呂へ三人目を渡し

 「私と川柳」より-昭和5年、県下川柳大会。現役兵だった私は当日、御真影拝賀式を終えて班長の許可を得、駈足で待ちに待った大会へ参加したのでした。この日も盛会で、百数十人の目が一斉に、異色の軍服姿の私に注がれました。(中略)私も三度従軍したのですが、開戦当時、<年賀状破竹部隊を追い回し><胎教へ妻荒鷲の額もかけ><好餌いま潜望鏡の真正面>等の勇ましい句が入選したのです。

床の間を背にして癪な旧思想
保証する方は金釘流で書き
物売りの下手に嘘つくのも哀れ
前衛とやらで字に見え画にも見え
大物が来た座布団の置き処
丹前で歩けば宿の名で呼ばれ
セールスへ邪魔な隣の古狐
初耳を装い策はすでに出来
バッチなど外して行こうクラス会
天翔ける夢を鶏失わず
ご馳走の数と合わない票の数
大天狗小天狗町の文化展
腕組をして実印の要る話
国賓に見せたい富士へ邪魔な雲
世話好きのもう根回しは出来てゐる
母に派手妻には地味な貰い物
継がせたい継がせたくない親心
開店の花輪名士の名を借りる
ツーアウト満塁の背を叩かれる
平和論裏へ廻れば武器を研ぎ

 「雅号當百の由来」より-金縁の額の中に天保銭が一個縫付けてあり、當百の文字が光って居た。その文中に自分は天保銭と同じで八文にしか通用しない人間であると自覚して、謙虚な行動と勤勉努力の結果今日を築いたのだと訓えていた。若い自分等に対して立派な人生訓であり、その内容が何となく川柳味があって面白いと感じたのであった。そろそろ雅号でも欲しいと思って居た矢先の事で、この當百の意味とその文字の格構よさに魅せられて簡単に決めてしまったのである。(中略)図らずも大阪に柳誌番傘の創始者であり、有名な西田當百という大先生の居られる事を知り、実は一寸戸惑ったのであった。然し前述の様な次第で既に決めて仕舞った事でもあり、又この雅号に深い深い執着と未練もあって今更改名する気にもなれず、今日に及んだ様な次第である。よってこれからもこの大先生の名を汚さない様に心して、この道に励む心算である。

正論へ苦い上司の横っ面
礼服のまま乗せて来た救急車
火を噴いた昔は言はぬ雪の山
深々と詫びる白髪をもう責めず
スポットへマリオネットの糸が見え
ルバングに戦陣訓が生きて居た
承知して乗れば可笑しい口車
ワンマンをどん尻におく五十音
地震国日本のビルの丈くらべ
お茶で好い客へサインを読み違え
許してる肚が読めない下手な詫び
本流になってせせらぐ音もなし
叱られに行く代表に選ばれる
猿知恵の今更核を持て余し
反省もなき始末書の字が巧い
悪企みドサリと雪の落ちる音
目的があって素直な二・三日
花鋏師にも戸惑う枝があり
大臣になれて肩書みんな消し
核ボタン押す時終る進化論

 「満州の思い出」より-川柳をやって居たお蔭で部隊歌に当選、都々逸も一位から三位まで独占。今井部隊長から表彰され、大いに面目をほどこす。(中略)真珠湾攻撃から端を発して南方はいよいよ大戦に突入したが、満州はまだソ連と相対峙して居るだけで、平穏無事な日を送って居た。そうした環境の中で部隊長の発意により部隊歌や都々逸の募集等が行われ、当時はもぐら兵舎の生活も又楽しかった。

十二月八日凍てつく捧げ銃
遥拝へ皇居は思いがけぬ方
満州に居て遠雷を聞く思い
新兵に脚絆長すぎ短すぎ
隊長を天晴れ凌ぐ兵の髭
金持ちも米袋提げ配給日
手を拭いて手柄話へ母も座し
呱々の声おお兵隊だ兵隊だ
自爆機を囲み土民の哀悼歌
玉音をまだ掘りかけの壕で聞く

 最後の10句は「戦前から戦中吟」より。以上70句。句集をひらけば私の記憶にある祖父の匂いが立ち昇ってくる川柳ばかりで、ここまで絞るのは難しかった。これがベストなのかはわからないし、祖父本人からは苦笑されているかもしれない。拾い上げなかった句の中には、いまから見ると既視感のある句もあれば、私の胸だけにしまっておきたい句もあった。いずれにせよ、柳歴などないに等しい孫から見た川柳人、加藤當百の句群である。

 この句集以外に、祖父が実際にしたためていた句帳が二冊ある。そのうちの一冊の奥付には「昭和七年當用日記」(博文館)とあり、大層な装丁をしている。膨大な句の数々がくずし字で書かれているために、若輩の私には読むのに骨が折れるのだが、この句集を出版するにあたっての原典であったはずだ。奇しくも同じ道を歩き始めた孫として、少しずつ解読していこうと思う。眠ったままの、まだまだ私の知らない祖父に出逢えることを楽しみに。

 句集しかり、この句帳でさえも、私の手にはずっしりと重い。(原文、ママ)



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ブログの読者からの投稿❺‥「祖父の句集をひらく」(加藤 当白)”にコメントをどうぞ

  1. 加代 on 2020年5月25日 at 4:16 PM :

    しっかりとしてその時代を感じる秀句ばかりですね!

    • 加藤 当白 on 2020年5月25日 at 8:17 PM :

      加代さま

      いつもコメントありがとうございます。

      祖父にしてみれば、出版して30年以上たってから、
      こうしてみなさまにご覧いただくことになろうとは思ってもみなかったでしょう。

      これもひとえに、こうした機会を私に与えて下さったあきこさんのおかげです。
      感謝感謝です。

      一応は、今回を以て最後の投稿になります。
      これまでにも励ましのお声をいただき、ありがとうございました。

  2. たむら あきこ たむら あきこ on 2020年5月25日 at 5:00 PM :

    加代さま
    当白さんご自身から返信コメントがあると思いますので。
    もう一度ここをご訪問くださいますよう。

    日本の、一時代を感じさせてくれますよね。
    先人の句を、ときどきはふり返ってみたいものです。
    懸命にその時代を生きた日本人の姿が浮かんでまいります。

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