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 “もののあはれ”―それは「心が、移ろいゆく世界にふと震える瞬間」を指す概念。江戸時代の国学者・本居宣長はその震えを日本人固有の感性としてすくい上げた思想家だった。宣長は『源氏物語玉の小櫛』『紫文要領』で、「もののあはれ」を日本文学の核心概念として理論化した。

 宣長の主張の要点は、『源氏物語』の本質は「もののあはれを知る」ことにあると。文学は儒教的な「勧善懲悪」や道徳のために書くものではなく、人の心の真実を描くことこそ文学の価値であるとした。当時主流だった儒教的価値観から文学を解放し、「文芸の自律性」を打ち立てた思想家でもあった。

 “もののあはれ”とは理屈ではなく感じてしまう心そのもの、自然や人生の移ろいに触れたとき胸の奥に生まれるしみじみとした情だと。宣長はこれを、人の心に本来そなわるもっとも大切な感受性と位置づけた。「あはれ」は 単なる哀愁や感傷ではなく、複雑な情のゆらぎを含んでいる。

 私の句《おんがくもひとも過ぎゆく華なのか》、この句は、宣長のいう「あはれ」をそのまま宿していると考える。音楽も人も咲いたと思えば散り、触れたと思えば遠ざかる。その儚さを「過ぎゆくからこそ華なのだ」と受け止める。さらに私の句⦅きのうの短篇ひらく花吹雪のように⦆は、記憶の中でふいに舞いあがる美の一瞬のような「あはれ」の時間性を照らしだしているかも知れない。

 本居宣長は、 日本文学の根に流れる感性を“もののあはれ”という言葉ですくい上げ、 それを日本人の心の中心として位置づけた。その思想は 現代を生きる私の川柳にも静かに息づいている。“もののあはれ”の本質・永遠ではないものの輝きに気づく心が、瞬間をより美しく見せる。“もののあはれ”は外界の現象ではなく、それを見た人の内側の余韻となるのだ。“もののあはれ”は「静かな肯定」とも言える。失われることを悲しむ心ではなく、失われることを含めて美しいと感じる心なのだ。

 川柳は本来「可笑しみ」や「世俗の機微」を切り取る文芸であるが、その背後にはしばしば失われゆくものへの哀惜が潜む。俳句のように季語に縛られない自由さゆえ、かえって心の陰影や寂しさを受け止める器となりうるのだ。そこに“もののあはれ”との接点がある。

 わたしは、川柳の前に短歌を長く詠んできたが、《おんがくもひとも過ぎゆく華なのか》という句は、川柳に“もののあはれ”を詠んだいち典型かもしれない。華やかさの只中にすでに別れの気配が宿っているという感覚は、宣長の“もののあはれ”の核心に触れているのではないか。「華」は美の象徴であると同時に、散ることを運命づけられた存在の比喩でもある。川柳は日常のことばを使いながらこうした無常観を差し込むことで、静かな余韻を残しうる文芸なのだ。

 川柳は、俳句のように自然の移ろいを詠むのではなく、人の感情や記憶のゆらぎを扱える文芸。その柔軟性が句のなかの“もののあはれ”を人間的な角度で照らしだす。上記二句が示すのは、音楽も人も、過去の自身の生きざまも、すべてが過ぎゆくからこそ美しく心に残るということ。川柳は、真理を過度な装飾を排し伝える。失われるものを惜しみながらも失われることを受け入れ、その瞬間の輝きを味わう。川柳は、“もののあはれ”その心を日常のことばのなかにそっと留めるのである。

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⦅3825⦆川柳と“もののあはれ”について”にコメントをどうぞ

  1. 月波与生 on 2026年6月6日 at 8:05 PM :

    「もののあはれ」と川柳の親和性、興味深く読みました。季語に縛られない川柳は、自然を介さず人間の心の揺れに直接入れる。その意味では俳句より「あはれ」との距離が近いかもしれません。ただ川柳の強みは「可笑しみ」と「批評性」にもある。「もののあはれ」はその川柳が持つ豊かな可能性のひとつとして、もっと意識されていいのかもしれませんね。

  2. たむら あきこ on 2026年6月6日 at 8:56 PM :

    月波与生さま
    もともと短歌を詠んできたので。
    もしいま短歌を詠むとすると、その「批評性」が強く入ってくるかもしれません。
    どこか、川柳的な短歌として。
    喜怒哀楽いずれも川柳になり得るわけで、私の場合「哀」が強くでてしまうのも、短歌をやってきた影響かもしれませんね。

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