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白線2 昨夜。いつも通り近くのドトールで作句、横のスーパーで惣菜の買い物。徒歩4分の自宅までの道を、やはりいつものように月を見上げながら歩いていた。足元に道路の白線。まっすぐ歩けるよう、このラインを外れないように辿ることで、昨年3月の骨折の後のリハビリとしてきたのである。(いまは階段の上り下りに多少違和感が残る程度までに回復)
 一本の白線は一本の白い道とも見えた。振り返るとこの白線があたかも私の人生の象徴のようである。掠(かす)れ薄くなりながらも、途切れずに続く。掠れたところはふたたび塗られ、濃く生き返ることになる。いままで択び取った人生に(大きな)悔いというほどのことはない。句についてどなたかが指摘されたように、意識するわけではないが、たぶん人生も「自己肯定感」で貫かれているのだろう
 義務のいくつかを果たしたあとは文芸の世界で自由に翅を伸ばしている。どこで斃(たお)れようと悔いというほどのことはない。推敲のすえの『千句』を出版したこともあり、このあととくに結果は急がない。誰もがいつかは途中で斃れてゆくのだから。



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