昨晩「あとがき」に着手。下記は一部だが、もちろん最終的にこのままではない。ふだんの作句と同じように、推敲を続けて最終的には全然違ったものになる(可能性が高い)。いろいろな感慨とともに、川柳に生きている いまを書くことにする。表紙の題字は今年10月に卒寿を迎えられる瓦版会長にお願いしているが、練習し入念に書いて下さるとのこと。今回は「まえがき」を付けない。(こちらも最終的にはどうなるか分からない)
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あとがき(下書き・一部)
1999年(平成11年)の5月頃だったか、川柳を始めて、それから16年の歳月が経った。父を見送った翌年の平成17年の秋、川柳マガジンクラブ大阪句会を手始めに各地へ川柳行脚に出かけるようになった。いままでに詠んだ句は数万句はあるだろうが、長いあいだ没句ほかを捨てていたので、全部は数えることができない。
主に柳誌に残されたものから今回は千五百句を抄出した。もちろんこれで川柳行脚が終わったわけではない。むしろ闘いはこれから。句を練るのはほとんど句会に行く途中の電車内か、喫茶店。八百回を超える(だろう)川柳行脚にあまり途中の景色は記憶に残っていない。何も見ていない。見ていたのは、それらを媒介として浮かび上がる私の中の景色(心象)。
父を見送ったとき、一人息子はすでに大学生として徳島に下宿していた。当然のつとめとして長年の育児とそのすぐあと始まった介護の責任を果たし、肩の荷を下ろしてからの川柳行脚だった。まず亡父の縁(ゆかり)の地をたずね、偲んだ。高校教師(国語)を退職後、水墨画を嗜んでいた父がアトリエを構えていた京都の深草など。昨日のことのようである。
あけましておめでとうございます
旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
初めてブログ参加させていただきました。これからは閲覧させていただきたく思います
川柳の取り組みにはただ頭の下がる思いです。これからもご指導よろしくお願いいたします
Kazuyo Matsuyamaさま
こちらこそよろしく。 ヨロ(^◇^)シク~
キマジメ過ぎる(かも知れない)ブログの割には多くの方々のご訪問をいただいているようで、いつも感謝しています。
コメントをいただくのが、とても励みになるのよね。
ご指導などはとてもできませんが、またお茶に付きあって下さい。では、明日句会にて。