インド吟行(12/2~12/7)を決める
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故 前田咲二先生に捧げる25句 (推敲済み)
9月27日午後7時57分、前田咲二先生が逝去されたことを、二週間後の今月11日の新聞紙上にて発表。このことは、何事にも用意周到な先生のご遺志であることが、わたしには分かる。先生、長い間ありがとうございました。心からの哀悼の念を込めてまずこの25句を捧げます。(残りもいずれアップいたします。これから...【続きを読む】
続き②‥江田島海軍兵学校のこと(咲二先生に伺ったこと)
本日いま住んでいる地域の「ふれあい食事会」という催しがあり、ながく川柳行脚で地域の人々との交流が少なかったこともあり、参加させていただいたのね。42人出席、なごやかに食事とゲームなどを楽しんできました。なんと、年配の方のカラオケ「岸壁の母」に感動、落涙。あと、いつも通りドトールにて作句。
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続き‥江田島海軍兵学校のこと(咲二先生に伺ったこと)
海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関。(写真:海軍兵学校生徒館=現在の海上自衛隊幹部候補生学校)
イギリスの王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学校とと...【続きを読む】
江田島海軍兵学校とは、どのようなところだったのか (☆聞き書き)
川柳マガジン3月号(2013年)は川柳瓦版の会会長前田咲二特集。「柳豪のひとしずく」シリーズの中に入っている。(早くに新葉館出版さんから依頼されていたのに、やっと先生が承諾されたのね) 2月6日の句会に、大阪市中央公会堂内にて撮られた写真が表紙を飾っている。「頭」で作らず「心」で詠む、ということを...【続きを読む】
川柳の横綱・前田咲二先生の軌跡‥江田島海軍兵学校生徒(卒業)から読売新聞「よみうり時事川柳」選者まで
咲二先生からの聞き書きで、のちに咲二先生に確認した正確な履歴のメモがあるのですが。どこにしまったか、いま捜しています。こういうことは正確の上にも正確を期さないといけないので、そのメモから書き出していきます。(写真:昨年12月18日撮影、余命数か月と診断された食道がんのため入院されたときの咲二先生。...【続きを読む】
許せないこと
前田咲二氏死去/川柳作家 | BUSINESS LIVE – 四国新聞社
2017年10月11日 – 前田 咲二氏(まえだ・さくじ=川柳作家、本名作自=さくじ)9月27日午後7時57分、 食道がんのため大阪府寝屋川市の病院で死去、90歳。和歌山県出身。(以上は、本日たまたま...【続きを読む】
第22回 川柳クレオ川柳大会‥帰り、台風の影響でみさき公園(南海本線)にて足止め、タクシーでやっと帰宅
(23日、記す) 現在3時19分。(衆院選の結果をネットで見たところ。ほぼ予想通り) 昨晩みさき公園駅からタクシーで7時半頃(?)に帰宅後、疲れで寝てしまったのね。
地下鉄堺筋線天下茶屋駅までご一緒した柳友から留守電に電話が二回入っていた。そのうちまた電話をいただき、ご心配いただいたことに深く感謝...【続きを読む】
『時実新子の川柳と慟哭』(平井美智子編)から
2007年3月10日午前5時15分、肺癌のために逝去(享年78)。(Wikipedia)
時実新子氏の訃報に触れたのは同月26日、大阪・弁天町での 天守閣句会でのこと。川柳界にとって大きなニュースだったので、みな息をのみ、句会場が静まったのを覚えている。直接には氏を知らなかったわたしも、その名を...【続きを読む】
何ができるか
目覚めると、1時9分。何時にということなく泥のように眠ることが自分を癒す方法らしい。
できることを、よく考えて少しずつしていくほかない。「前田咲二」の名を遺すこと。作品が遺っていないのでは、それもむずかしいのではないか。いまなら作品が散逸していない。先生ご自身が、柳誌ほかすべてご自宅に整理して置...【続きを読む】
先生なのだろうか
現在19時49分。いつものドトールのあと、横のスーパーで買い物をして、雨の中を傘をさして帰ってきたのね。すこし胸が痛い。笑われるかもしれないのですが、雨の中を咲二先生と一緒に歩いてきたのかもしれないのです。昨日の淀屋橋のまぼろしの続きのように、先生がなんとなく、歩いているわたしの前におられるのね。...【続きを読む】
川柳マガジンクラブ大阪句会10月句会‥《新しい現実きみがいなくなる》(たむらあきこ)
南海和歌山市駅10時29分発特急サザンで難波まで。車内にて宿題「じらす」22句を推敲。地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで。正午前着。カフェベローチェで昼食のミックスサンドを買って、徒歩5分、大阪市中央公会堂まで。
ほぼ半年ぶりの地。土佐堀川の南を通って栴檀木橋(せんだんのきばし)を渡る。正面に大阪市中央...【続きを読む】
(15日) 第67回 岸和田市民川柳大会‥《あのひとが渡りあの世が活気づく》(たむらあきこ)
15日。和歌山市駅9時59分発の特急サザンで岸和田まで。駅近くのパン屋のイートインコーナーにて柳友とモーニング。5題60句を推敲。11時頃に出て、福祉総合センターまで。いつも通り、窓際の端席。(端でないと句が詠めないのね) 蕉子、廣子、ばっは、次根、秀夫、英夫、ふさゑ、准一、保州、勝彦、信二、あか...【続きを読む】
10月15日
いろいろと考えるのよね。10月15日は前田咲二先生の91歳(存命なら)のお誕生日。昨年の10月15日には卒寿を迎えられたのね。新葉館出版の松岡さんに、川柳マガジン文学賞の選者として先生が選結果(選評?)を京阪寝屋川市駅で急遽お渡しするというようなことがあった。時間的にギリギリだったので、あきこが連...【続きを読む】
柳人 前田 咲二の軌跡‥[蒙御免 平成13年番傘川柳本社句会番付表 参加者259名中上位40名 行司 物種唯修 作成 上野楽生]
昼過ぎ、柳友から電話。
「ぼくらみたいなぺえぺえが句集出してんのに、あの大御所の咲二さんが出してないって、ナイわなぁ」
「そうなのよね。いくら本人が出さないって言うても」
「咲二さんの句を読みたい人はいるよ。幻四郎さんも出さんかったしなぁ」
「なんとかならんかと思ってんのよ」
「咲二さんの気持ちは...【続きを読む】
おれはがんばった。あんたもがんばれ
咲二先生にいただいた最後のことばは何かと考えている。やはり、表題の「おれはがんばった。あんたもがんばれ」だろう。「おれはがんばる。あんたもがんばれ」とも聞こえたのだが。「る」の部分を先生はあいまいにされた。(写真:京阪淀屋橋駅近く、ミュンヘンにて撮影)
先生は、ご自分の句集のことについてはいろい...【続きを読む】
3時48分、眠れないので起きる
9月27日に咲二先生は逝かれたという。いつ電話をいただいてもいいようになるべく自宅にいたのだが。9月4日の夜電話をいただいてから先生の病状はどう変わったのか。そのとき患部に痛みがない、というお話がわたしを楽にしてくれた。また息子さんの先生への孝行ぶりにも、伺って安心させていただいた。
自宅療養と...【続きを読む】
9月27日、川柳瓦版の会元会長前田咲二先生が亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2017年(平成29年)10月11日(水曜日) 夕刊 讀賣新聞
前田 咲二さん死去
よみうり時事川柳 前選者
【写真】 読売新聞大阪本社版「よみうり時事川柳」の第5代選者を務めた前田咲二(まえだ・さくじ、本名=作自)氏が9月27日、食道がんのため死去した。90歳だった。告別式は家族で済ませた。自宅は...【続きを読む】
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