6月30日に逝かれた日野愿(ひの・すなお)さん(愿さんは、ご自分に先生と敬称を付けないようにおっしゃったのね)の句をアップしようと句集『自家撞着』を探しているのだが。なにしろ書籍他を乱雑に積み上げているので、分からないのね。
川柳界は高齢のかたが多いので、句会でご一緒したかたを最近お見かけしないと思っていたら入院されていたという話も多いのね。そのうち、おられなくなる。人生は、還暦を過ぎるとまさに別れの旅である。たいせつなかたとの別れが続く。わたしには、そのかたとの思い出を一行詩に刻むことくらいしかできない。『たむらあきこ千句』に句評を載せさせていただいてよいかというわたしの依頼を、愿さんは「光栄(や?)」ということばで喜んでくださったのね。
書きかけの当ブログをみて電話をくださったのは、やはり愿さんを慕っておられたかたである。愿さんほどのかたなので、遺句集をだそうかなどという話が当然もち上がったのだろう。ところが愿さんは、関係の柳誌などすべてご自分で処分して逝かれたというのである。なにも遺っていないのだと。
死に方は生き方である。このあとふかい感慨がわたしをとらえて離さなかった。そういう話をお聞きしたことで、愿さんのこころに触れた気がした。しかし、やはり遺句集はだすべきだと思うのである。なぐさめは、すでに上記の一冊は出版しておられること。とまれ、このブログに句は載せます。まず自宅にある柳誌から拾えるだけ拾おうと思っているのですが、関係の柳誌をお持ちのかたは教えてくださいね。
しかし、どこへ行かれたのだろう、愿さんは。そちらで柳友のみなさまや咲二先生ともお会いされましたか。「ほんまにあきこは困ったやつじゃ。おれが『句集はださん』と言うといたのに、だしよった」と咲二先生はおっしゃっていませんでしたか。咲二先生も、ご親友の幹斉さんたちと楽しそうに話しておられましたか。サムライたちよ。