本居宣長(もとおり・のりなが)は伊勢国松坂(三重県松阪市)の木綿問屋・小津家の二男として生まれたのね。商人の子なので、当然商人になることを期待されていただろう。19歳で商家の養子になるが、商売は宣長の性に合わないのね。読書したり和歌を詠んだりすることがなにより好き。結局離縁、その後京都に遊学。それが宣長23歳のときなのね。学んだのは医学と漢学。
松坂に帰ってからは医師として開業、空いた時間を古典研究に捧げたのね。31歳で結婚、だがすぐに別れ、33歳で再婚。二男三女を得る。名声を得て、多くの弟子にもめぐまれた。
著作は膨大で全容に触れることはできないが、宣長を知るキーワードは『古事記伝』と「もののあはれ」。宣長がこよなく愛したのは『源氏物語』。『源氏物語』を論じた『紫文要領(しぶんようりょう)』に「もののあはれ」ということばが初めて登場するのね。(「ただ人情の有りのままを書きしるして、みる人に人の情はかくのごとき物ぞといふ事をしらする也。是(これ)物の哀れをしらする也。」)
「もののあはれ」とは、素直に、こころに感じたままを受け止めること。人のこころに善悪の基準をあてはめないこと、こころのありのままを知ることが「もののあはれ」だというのね。「漢意(からごころ)」はその反対で、人のこころに善悪の基準を持ち込む。感じたことがなにかの基準によって否定されたり肯定されたりすることを、宣長は嫌ったのね。ちなみに、宣長のいちばん大きな仕事は『古事記伝』を完成させたこと。34年もかかったのね。