篠田桃紅(しのだ・とうこう)さんが3月1日に亡くなられたらしい。水墨による抽象表現で国際的に活躍されたのね。老衰で、107歳の大往生。独身で、書家(美術家)としての生涯を全うされた。その凛としたたたずまいに惹きつけられるものがあった。あらためて、その生涯を追ってみた。
和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。
海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったものの日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市や岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館した。
2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた[3]。2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる[4]。
2021年3月1日、老衰のため東京都青梅市の病院で死去[5][6]。107歳没。
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著書が20冊あるようだが、その題名が参考になった。生涯を独身で貫き通した美術家としての生き方に、いまなら共鳴する女性も多いことだろう。豊かに自分の時間を生ききった、自由でうらやましい一生だったと思う。下記は、20冊の題名。ご参考まで。
『新しい書道十二ケ月 抒情詩の解説を添えて』
『いろは四十八文字』
『墨いろ』
『朱泥抄』
『その日の墨』
『おもいのほかの』
『一字ひとこと』
『墨を読む 一字ひとこと』
『きのうのゆくへ』
『桃紅 私というひとり』
『桃紅えほん』
『桃紅百年』
『百歳の力』
『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』
『一〇三歳、ひとりで生きる作法 老いたら老いたで、まんざらでもない』
『人生は一本の線』
『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』
『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』
『これでおしまい』
『日本の名随筆 27 墨』