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  生死(しょうじ)の中の雪ふりしきる     山頭火

 行乞(ぎょうこつ)途中雪の中でたおれかけたときの句、ならば「生死の中」は「生死の中」ではないかとはじめ単純な違和感を持った。繰り返し読むとどうやらそういうことではないような。
 生死とは、大乗仏教において「悩み」を意味する概念。衆生が生まれては死に、死んでは生まれる苦しみ・迷いの世界、すなわち〈輪廻〉。山頭火が熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度した、禅僧であることを考慮に入れてこの句は鑑賞しないといけない。たんに生まれる死ぬの「生死に雪が降りしきっているのではない。
 生と死とを無限に繰り返す輪廻転生。その中での人生は悩みや苦しみに満ちている。山頭火の苦しみ・迷いを包み、清め、また叱咤するように「ふりしきる」雪。たおれこんだまま埋もれてしまえばそのまま逝くしかない、恐ろしい雪でもある。雪も生死の側にある生命体のように詠んでいるのが「生死の中」の「」。やはり「」ではない。(たむらあきこ)



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【鑑賞】生死の中の雪ふりしきる  山頭火”にコメントをどうぞ

  1. 前川奬 on 2018年2月21日 at 8:46 PM :

    >雪も生死の側にある生命体のように詠んでいるのが「生死の中の」の「の」。やはり「を」ではない
    『新明解国語辞典』(第六版)では「【生死】とは「輪廻」の意味の、即物的表現。輪廻流転」と書いてあります。今日の朝日新聞デジタルに載っていた俳人金子兜太さんの訃報の中に「・・小林一茶や種田山頭火の研究でも知られ・・」とあったので、本棚にある金子兜太さんの『悩むことはない』(文春文庫)を引っ張り出して読んでみました。金子さんは「自由律の種田山頭火は死ぬ直前に『もりもり上がる雲へあゆむ』という句をつくっています。・・命のままに生きている、その状態ですな」と言っています。これで貴意よく理解できました。

    • たむら あきこ たむら あきこ on 2018年2月21日 at 9:13 PM :

      前川奬さま
      山頭火の句には、どこか宗教的な色がありますね。
      そこに惹かれているのですが。
      あきこの目ざしている「人間存在の根幹にかかわるところまでを詠む」川柳が、山頭火の俳句と被るところがあるのね。

      《生死の中の雪ふりしきる》が、川柳の短句(十四字詩)だと言われても違和感がないわけで。
      これからは川柳と俳句の境目がなくなってくるのかもしれません。
      川柳も、川マガなどでは〈有季川柳〉の試みが始まっていますし。
      文芸のバリアフリー化が進めばいいと思っているのね。
      道後では、山頭火の歩いたであろう道を通って等身大のかれを偲んでみたいと思います。
      ではまた。 (*^^*)

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