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 しかし昨年の8月病気が発覚。「もう会えなくなるからお世話になった人達に会いに行きたい。」「やめろ」とは言えなかった。僕も休みの時は出来るかぎり付き合うことにした。何かあったら心配だからと言うと怒られるので「たまには俺も旅をしたい」と嘘をついて。
 「高熱が出たり痛みも出てきちゃった。痛くて横になって寝れないから椅子に座って寝ているし足もむくんで来ちゃった」そう言われたのは昨年末だった。たかね新年句会の2日前は歩くことも出来ないし声を出すのも辛い状態。しかし当日になると見違える姿の男がそこにいた。おそらく全ての力をこの時に注ぎ込んだのだろう。翌日は句碑の案内もした。
 安心してしまったのだろう再び調子を崩し22日に入院。お見舞いも本人が全て断っていた。しかし絆の力なのか。偶然が重なり高瀬霜石さんが静岡に来てくれたのだ。青森の人がこのタイミングで静岡にいるなんて普通はありえない。車の中で霜石さんに「痛いだけでなく足もむくんでいるみたい」と話すと「そんなこともあるんだな」と言っていたが、きっと知っていたのだろう。むくみが酷くなるのはマズい状態なのだと。僕に気を使ってくれたのだ。不安がらせないように。
 そして25日の19時ごろ。渡す物があり鰹さんの病室を訪れる。軽く会話を交わした後「またくるよ」「うん」と力強い握手で別れた数時間後旅立ってしまった。後日ご家族の話を聞くと僕が最後に会ったことになるらしい。
 入院してからも「たかねの編集やらなきゃ」と言っていたようだ。大好きな川柳。そして静岡たかね川柳会。鰹さんは「自分に何かあった時はたかねを頼むよ。どんな形でもいいから存続させて欲しい。たかねが無くなってしまうのだけは嫌なんだ」と言っていた。たかね運営。編集。鰹さんの行動力にはかなわない。でもその想いは僕たちが継いでいくしかないのだ。鰹さんが安心して笑っていられるように。
 いろいろと落ち着いたら大好きだった激安焼酎を持って会いに行くよ。
  手土産は笑顔ボクらはそれでいい        夕介



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つづき‥「カツオとタラオ」 (松田 夕介)”にコメントをどうぞ

  1. 池見静男 on 2019年12月22日 at 2:37 PM :

    ご冥福をお祈り申し上げます。

  2. たむら あきこ on 2019年12月22日 at 7:11 PM :

    池見静男さま
    久しぶりに読んだ一文でした。
    もうすぐ、四年経つのですね。
    夕介さんの句がいいですね。

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