「川柳塔なら篝火」10月号に掲載の一文を転載。 十二の窓⑽ たむらあきこ
川柳総合雑誌「川柳マガジン」関係の「新葉館ブログ」に日々書かせていただいている。そこに川柳瓦版の会主催「咲くやこの花賞」の、私の選で〈天〉に採らせていただいた句と選評を記した。選者の義務として、少なくとも〈天〉の句は採った理由を明らかにすべきではないかと考えるからである。瓦版編集部としても、できればこの先「咲くやこの花賞」の選者全員に選評をお願いすればよいのかも知れない。〈天〉には各選者の眼に適った優れた句を頂戴しているわけで、選評を皆さまに読んでいただくことでより納得していただける。この先いま以上に川柳界に寄与できるような賞に育てていくことが大切と考えている。
次は第5回「明るい」の天の句と私の選評。
日に晒す指紋だらけの私を 菊池 京
「日に晒す」「指紋だらけの私を」と、まず倒置法が効いている。「指紋だらけの」と、この世でもみくちゃにされて純白のままではいられなかった哀しみを詠んでいる。「指紋だらけ」という、非凡としか言いようのないメタファー。染みついてしまった世俗の「指紋」はいまさら拭いようもない。いままで作者を苛んできたものの残滓なのかもしれない。哀しみが読む者のこころを打つ。せめては古本を「日」に当てるように、強い陽光に晒したい気持ちであると。わずかこの1句だけでも、作者の短詩型文芸における才を感得させるに十分だろう。