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鉛筆ていねいに読ませていただいたが、残念ながら抄出できる句が無かった(少し手を入れると採れる句はあった)。明らかに欠点のある句を「秀句」として表彰することに何の意味があろうか。だから大会の名も書けない。いつまでも川柳がこんなことだから、当代川柳家の第一人者尾藤先生始め、ほんとうに川柳を愛する心ある川柳家が心配しておられるのである。厳しくこの文芸に向き合おうとされる方々は寧(むし)ろ少数派なのかもしれない。

 川柳の折角の自由な5・7・5のフィールドに、黴臭い既成概念をいくらも出ないことしか書き入れられないことが残念すぎる。結局は選者の眼なのである。よい川柳を拾い上げる眼がなければ、いつまでも川柳はこの段階を出られないだろう。これでは、川柳が文芸未満であるという評価に甘んじざるを得ない。それに対する問題意識すらなく、同じような大会が都道府県単位で毎年開催されているのだとしたら、文芸川柳への道のりは遥かに遠いといわざるを得ない。



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あきこの眼‥二つの(地方の)大会の発表誌から”にコメントをどうぞ

  1. 徳田ひろ子 on 2014年11月19日 at 11:35 AM :

    いつもいつもいつもいつも感じています。それが地元の大会になれば出ない訳にはいかない、いけばめまいしそうな大会。
    まだ関西、関東はいい方かと思います。聞けば

    • たむら あきこ on 2014年11月19日 at 4:40 PM :

      徳田ひろ子さま
      >いつもいつもいつもいつも
      >いけばめまいしそうな

      実感が溢れていて、つい笑ってしまいました。私も、同様に感じています。

      お声の掛かるところから順に行かせていただくようになって十数年。
      結局、どの大会も行きつくところは「選者」です。何百人もの参加者のある大会の選者が、皆さんすばらしい選をされるわけではないのですね。
      とんでもない選者が半数、と言っても言い過ぎではない。

      もう10年以上もそういうことが危機感をもって言われ続けてきたわけですが、この状況をどうすればよいのか。
      選者をされる方には、「咲くやこの花賞」のような選者厳選の難関句会に参加、年間ある程度以上の入選句数を得ることを義務付けるとか。
      句会大会にもほとんど入選できないような選者が、まともに選ができるわけがないのですよね。

      どの大会も、「選者を選ぶ」ことを最優先とすべき。参加者数はあとからついてきます。
      輪番制や、やりたい人に任せる選ではなく、選をしていただきたい方にお願いしなければなりません。

      現在のとんでもない状況をなんとか変えて、短歌・俳句以上に内容ある川柳としたいものです。すばらしいフィールドなのですから。

      実感のこもったコメント、ありがとうございました。

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