悪気がなくてもことばで人を傷つけてしまう─これは人間関係の中で避けがたいことかもしれない。多くの場合、傷つける側は「そんなつもりはなかった」と思い、傷ついた側は「どうしてそんなことを言うの?」と思う。そのすれ違いは、ことばの選び方だけでなく、価値観や心の状態の違いからも生まれる。人にはそれぞれ、触れられたくない領域や、敏感に反応してしまう過去の記憶がある。何気ないひと言がそこに触れてしまうと、意図とは無関係に痛みが生じる。つまり、傷つける(傷つく)か否かは発言者の意図より「受け手の心」によって決まることが多いのかもしれない。
では、どうすればこうしたことを減らせるのか。 第一に、相手の背景を想像する習慣が要る。自分の基準で「これくらい言っても大丈夫」と判断しがちだが、相手の立場や状況を一度思い浮かべるだけでことばのカドが丸くなる。 第二に、断定を避けることだろう。強い言い切りは、相手の価値観を否定する形になりやすい。「…かもしれない」という柔らかい表現は、相手の世界を尊重する余白を残す。 第三に、反応を観察すること。相手が沈んだり、ことばが詰まったりしたら、その変化を見逃さない。
「きつく聞こえていたらゴメン」とひと言添えるだけで傷が深くなるのを防げる。最後に、もし傷つけてしまったと思ったら早めに認めること。意図の有無よりも「あなたの気持ちを軽んじたくない」という姿勢が関係を守る。
人は完全には分かり合えない存在だが、想像し、柔らかく話し、変化に気づき、必要なら謝る─その積み重ねが傷つけ合いを減らしてくれるかもしれない。
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最近の先生のコメントは、いくつかの川柳に関するコメントも含めて
深いものがありますね。
後期高齢者に手が届く年齢になると、もう「私」は出来上がっているので
最近の風潮(我々の生き方が否定されるような…)は辛いものがありますね。
それだけ何も考えず、世間に甘えて生きてきたんでしょうね。
いい時代他だった、ナンてのはもう許されないのでしょう。
思考をフラットに戻して、内面外面ともに「イケオジ」を目指しましょうか。
井口廣司さま
いまでもけっこう「イケオジ」ですよ。(すりすり^^)
いつもコメント、ありがとうございます。
文章、いいですね。
和歌山句会ブログにもう少しご自分をだしてみてもいいかな。