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 短詩型文芸である川柳や俳句の世界では、句会大会などでよく「盗作」が問題になる。とくに同一人である場合、否定しようがないということになる。すなわち、その人について同様のことがよくあるという動かしがたい事実があるとき。たとえば、ある常習的人物(そういう人を作家とは呼ばない)は自宅にある新旧の柳誌から句を抜き出し、部分的に変えては自作として句会に提出しているということが分かっている。

 川柳や俳句の世界で盗作が問題になるとき、多くの場合それは明確な「コピペ」などではなく、もっと微妙な領域―類想句(や同想句)など発想や構成の重なりかもしれない。短詩型ゆえの宿命ともいえるが、それについては慎重な議論が待たれるだろう。

 まず、類想句とは「似た発想に基づく句」。季語や日常の光景は限られているので、おなじ情景から似た比喩や構図が生まれることは避けがたい。たとえば「田植え」「老いの影」などの題材はおのずから似た感情を呼び起こすと言える。これは創作の必然であり、類想だとしても悪意のない重なりが多いだろう。

 同想句は「ほぼおなじ発想・おなじ構成で作られた句」。類想句より一歩踏み込んだ一致で、語順や視点まで似てしまう場合。作者が無意識に既存句を記憶していたことが原因となることもあるだろうから、意図的盗作と断定しにくい。短詩型の川柳・俳句は17音という制約があるため、構成の一致は起こりやすいのかもしれない。

 一方、盗作と判断されやすいのは、
①語句の配置がほぼおなじ
②独自性の高い比喩などがそのまま使われている

 上記のような場合、意図の有無にかかわらず創作倫理の観点から問題視されることになる。似た題材の中でも、どう独自の視点を切り取るかがたいせつ。読者・選者は悪意かそうでないかを見極めることが必要。短詩型は、ことばの最小単位で世界を切り取る芸術。題材のしぼられた中から、自分だけの角度を探すことがたいせつだと言える。

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