もう19年川柳を詠み続けてきた。人とおなじで、一緒にいた時間の長さにかかわらず相手が見えていなかったりするように、自分が見たいようにしか川柳を見ていなかったりするのではないかと最近思うことがある。
思い込みをもとに会話をすると無意識に人を遠ざけてしまうことがある。川柳もひとりよがりな見方をしないように、いろいろな川柳と向き合わなければならないと考えてきた。そのために、頼み込まれたからでもあるが、時事川柳も足かけ10年もの間本格的にやってきたのである。
〈句会・大会は選者で決まる〉というのは予てからの持論だが、期待が過ぎると会そのものを楽しめない。思い通りの披講が聴けないことに怒りやストレスが溜まってしまうのである。自分の知らない世界をみせてくれるような、ほどよい刺激を与えてくれるような選者がいないかといまも探し続けているのである。
最近は、どの選者も最初から許容している。間違いを指摘するような姿勢では会そのものが楽しめない。笑顔でスルーとまでは言えないが、完璧な人がいないように、完璧な披講を求めることがそもそも無理なのかもしれないと思いだしたからである。披講に向き合う前にこのことをちょっと思い出し、自分に言い聞かせておくと、句会をおだやかに楽しめるような気がする。