第二十一回富山県川柳大会講演
「わたしの川柳行脚」 講師 たむらあきこ
みなさんこんにちは。和歌山県からまいりました、たむらあきこと申します。第二十一回富山県川柳大会開催おめでとうございます。これから、わたしのつたない講演をさせていただきます。ちなみに講演は初めてなのでかなり苦しんでまいりましたが、なんとか(これからも)手がけてみようと思っています。
皆様、この紙をご覧ください。「わたしの川柳行脚」とあります。空欄部分がかなりあるので、そこはメモとしてお使いください。では、始めます。一番、二番、三番、四番と各十分ずつお話しさせていただきます。時間超過になったら申し訳ないので、司会者の方そこはよろしくお願いいたします。
まず、わたしが川柳を始めた動機・・
実は十二歳の頃から短歌を始めているのですね。母は小学校、中学校の教員でしたが、病気になり、家で学習塾をひらいておりました。家に居り、短歌を詠んでいる訳です。それに感化されました。わたしが五七五(短詩型文芸の意)に入ったはじまりです。短歌は一人称の詩型(作品の主語が〈私〉)です。だから(時事川柳以外でわたしの詠む)川柳とはちょっと兄弟のようなところがある。俳句と川柳は両立しないような気がしますが、短歌と川柳は両立すると思います。
三十二歳からエッセイ、詩、俳句を始めました。いっぺんに始めたんやな、と、みなさん思われるでしょうが、実はきっかけがありました。三十一歳で息子を産んで、まもなく離婚いたしました。今になったら早まったかなと思うこともあるのですが、そのときはそれしか方法がないと、息子を連れて別居いたしました。いろいろ悩み苦しみが多かったのです。それを埋める為にほとんど同時期に始めたように思います。
それぞれを十年以上やっている訳ですが、あるときふと川柳というのもあるなあ、と思ったのです。これって何なのだろうねえと父₍元高校教師・国語科₎に訊いたら、俳句や短歌はわかるけど川柳はわからないと言う。そこで、友達に頼んで近くの川柳の会を紹介してもらいました。もう今はなくなってしまいましたが、番傘の会でした。
わたしはいつも「一回きりの人生、大切にデザインして生きる。」と考えてきました。みなさん御存知の伊東志乃さんの川柳をご紹介します、えんぴつ誌六月号に掲載されてい
たものです。
どのようにデザインするか生から死 志乃
短い自分の人生、どのように生きようか、自分の人生をデザインしよう。これは自分を主人公に生きようということですね。わたしは、三十代に離婚して、まだ若かったので再婚という話も出たのですが、幸いに学習塾(講師)という職があり、いろいろ考えてお断りしてきました。一人で子を育てていこう、そして、その一方で文芸を何か一つを極めたいという気持ちだったのです。(続く)
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なるほど、たむらあきこの謎が明らかになる持が来ましたね。興味深く読ませて頂きます(笑)
加藤 鰹さま
>たむらあきこの謎
謎は謎のままにしておかないと、みなさまの夢を壊すかな?
というようなたいそうなことは残念ながらないのね(笑)。
川柳は匿名性の文芸。誰の句か、なんてことは重要視されなかったのね。かの有名な《老人は死んでください国のため》なんて、誰も作者名を問わない。当時70代の方の句と記憶します。時事吟はとくにそうね。
ということで。
時間配分に失敗している講演なので、これからというところで時間がきてしまったのね。
もう、書くのやめておこうかなあ(笑)。 ウ~ンφ(~_~;)ウ~ン