調べ物が楽しくて、眠くなるまでかかりっきりになってしまい、アップが数日できませんでした。
昨日は、川崎の講座。全会のバレ句に触発されて作ろうとした方がいらっしゃいましたが、やはり現代のバレは、難しそうです。この日は、明治期の新川柳の曙光から詩的な川柳に目を開かれる新傾向川柳の鑑賞をしました。先輩たちが、新しい表現に意欲を燃やした時代。
私どもがこれを越えて行くためにも、過去を知ることの大切さを確認し合いました。
川崎は、相変わらずの人出。喧騒のなかで、自分と向き合う川柳の時間となりました。

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調べ物が楽しくて、眠くなるまでかかりっきりになってしまい、アップが数日できませんでした。
昨日は、川崎の講座。全会のバレ句に触発されて作ろうとした方がいらっしゃいましたが、やはり現代のバレは、難しそうです。この日は、明治期の新川柳の曙光から詩的な川柳に目を開かれる新傾向川柳の鑑賞をしました。先輩たちが、新しい表現に意欲を燃やした時代。
私どもがこれを越えて行くためにも、過去を知ることの大切さを確認し合いました。
川崎は、相変わらずの人出。喧騒のなかで、自分と向き合う川柳の時間となりました。

バレ句といえば、よく知られた一句があります。
〈松茸を 喰らひつしゃぶりつ また喰らひ〉
(吉永小百合・鬼百合 詠)
女優・吉永小百合が二十代の頃の作とされ、当時も大いに話題になったと聞きます。
私はXにて『性愛句集倶楽部』なる怪しい句会を主宰している人間ですので、バレ句には大いに親しみを覚えます。ただ、コンプライアンスの声がやかましい昨今、すぐさま◯◯ハラと糾弾されかねない危うさも感じており、なかなか扱いの難しい領域になりました。
バレ句を堂々と詠める場(領域)を残すことも、川柳人の務めだと思っております。
ありがとうございます。
ご指摘の句は、あまり品がありませんが、四世川柳の頃には、「バレ会」といって男だけが集まって、バレ句を楽しんだ時期がありますが、その頃の句に匹敵していますね。
初代川柳の頃にも末番句、さらには大尾という卑猥な表現もありましたが、だいぶ文学的です。
実は、私も「川柳はいふう」の創作欄において2度ほどバレ句を出したのですが、誰もコンプライアンスなどの指摘もしてくれませんでした。
私の場合、江戸の隠語と西洋詩のイメージやシンボルを駆使したので、表面的にはバレに見えていないようです。
作者一人、悦に入っておりました。
やがて、誰か気づいて「とんでもない奴だ」を笑ってくれるのを楽しみにしたりしております。