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 恐山を詠むことは難しかった。恐山はおよそ千二百年前に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれた霊場。円仁は日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)の弟子。最澄は法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していた。
 恐山は火山性ガスの噴出する岩肌の一帯を地獄に、宇曾利湖(うそりこ)をとりまく白砂の浜を極楽になぞらえているのだが、柳人の眼にはどうしても〈作りもの〉にしか見えない。大祭典の期間中でもあった21日は気温も高く、炎天下を小一時間さまよってきたが、硫黄臭で気分が悪くなり、岩も、積みあげられた石もまるで火葬のあとの人骨を見るような気がした。
 天台宗は六世紀の中国に起こった。開祖の智顗(ちぎ)は戦乱の中に生き、深い地獄の観察者であった。その教説は最澄によって日本に伝えられ、空海によって伝えられた真言宗とともに、平安時代の中心的仏教となった。天台宗はその教えの基本を十界、とくにそのなかの六つの迷いの世界への深い観想におく。人間の煩悩の姿、迷いの姿、魔の姿をあくまで凝視せよと。そしてそれらの姿の空しさを悟れ、執着を脱せよと説いている。通俗化された地獄思想は布教の便利として用いられた。さらに源信(942-1017、「往生要集」の著者)によって地獄の思想と極楽の思想が結びつけられた。この世を苦の世界、不浄の世界と説き、これを捨て来世の極楽浄土を願えと教えた。
 以上は天台宗について調べたことの一部である。恐山は布教の便利のうえでうってつけの地勢であり、一面に散乱した火山岩も、小は信者に不断に積みあげさせることで通り道をこしらえたのかもしれなかった。炎天に歩き続けた恐山は、宇曾利湖といえども極楽には遠かった。生物が生を営むには苛酷な環境で、鳥もあまり来ず魚もウグイのほかは生息できないらしい。強酸性の、ほぼ死んだ湖なのである。極楽であるといくらこじつけられても、その場にずっと居たい人はまず皆無だろう。
 ただ境内の温泉だけは、真正の極楽だった。もう一度この地に足を運ぶとすれば、この名湯に浸かることが第一の目的。ちなみに今回の吟行は「恐山吟行38句」として漸く一応の推敲を終えた。(まだ完成していません)

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