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日清戦争の勝利により、1895年に清朝(当時の中国)から割譲された台湾は、その後50年にわたって日本が統治し近代化の礎を築きました。

数々のインフラを整備し、教育を普及させ、現在の繁栄に繋がる功績を残しましたが、その一方で異民族である日本人の統治に対する反感も生まれ、各地で多くの武力抗争や襲撃事件が起こりました。「芝山巌(しざんがん)学堂事件」と呼ばれる悲劇もそのうちのひとつです。

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当時、芝山巌と呼ばれた緑豊かな小高い丘に台湾初の日本語教育学校「芝山巌学堂」が設立されたのは1895年のことで、今から約120年前にこの地で悲しい事件が起こりました。

台湾を統治し始めた日本政府は、まずインフラの整備に取り組み、鉱山の開発や鉄道の建設、衛生環境の改善や農林水産業の近代化などの政策を推し進めました。同時に日本語の普及にも取り組み、その指導のため多くの志ある人が台湾に渡りました。

のちに「六氏先生」と呼ばれる6人の教師(楫取素彦、関口長太郎、中島長吉、桂金太郎、井原順之助、平井数馬)はその先駆けとなった人たちで、初代台湾総督府学務部長・伊沢修二の求めに応じて渡台し、1895年7月から芝山巌学堂で日本語を教えていました。

生徒6人から始まった小さな学校は徐々に生徒数を増やし、周辺住民にも受け入れられていきましたが、その年の暮れになると暴動が頻発し、治安が悪化します。心配した人々は彼らに避難を勧めましたが、『死して余栄あり、実に死に甲斐あり』と教育に殉じる覚悟で拒み、その場に残りました。

そして1896年1月1日、ついに悲劇が起こります。元旦の拝賀式に出席するため、芝山巌を出た一行に約100人の抗日ゲリラが襲い掛かり、6人の教師と用務員の小林清吉の計7人が惨殺され、非業の死を遂げます。井沢と教師の山田耕造が日本に一時帰国した間の出来事でした。

日本政府はすぐさま暴動を武力で鎮圧。身に危険が及んでも武器を取ることなく信念を貫いた彼らを、台湾の人たちは手厚く葬り、墓を建てました。

その後、芝山巌は「教育の聖地」とされ、命をかけて教育の必要性を説いた姿は「芝山巌精神」として人々の間で語り継がれるようになりました。

同年7月、芝山巌学堂のそばに『學務官僚遭難之碑』が建てられました。高さ約3メートルもある大きなもので、時の内閣総理大臣伊藤博文が揮毫、側面には教師6人の名前が記されています。

1930年には台湾教育に殉じた人々を祀る芝山巌神社が創建され、今も毎年2月1日に慰霊祭が執り行われています。

しかし、日本が戦争で負けると芝山巌の景色が一変します。台湾から撤退するとすぐに中国国民党は『學務官僚遭難之碑』を倒し、六氏先生の墓や1936年に建てられた『軍夫小林清吉君之碑』を撤去します。芝山巌神社も破壊され、本殿があった場所に蒋介石の側近の国民党軍統局副局長、戴笠を記念する「雨農閲覧室」が建てられました。

1958 年には『芝山巌事件碑記』という碑が設置されます。今も建つその碑には、日本人を襲ったゲリラは「義民」に、惨殺された教師は侵略者の手先のように記されており、芝山厳は反日教育の場として利用されるようになりました。

ことごとく日本色が一掃されるなか、6人の遺骨は近くの芝山巌恵濟宮の住職によって密かに運び出され、無名墓の下に隠されました。これは彼らに対する台湾人の慈悲の心が成した行いに相違ありません。

権力者の世代が変わって民主化の動きが進むと、次なる転機が訪れます。1995年、芝山巌学堂の後身となる士林国民小学校で開校百周期年の祝賀式典が行われた際、卒業生有志によって『六氏先生之墓(写真)』が再建され、2000年には倒れたままになっていた『学務官僚遭難之碑』も元に戻されました。幸い、文字の部分が下向きになっていたため、現在も碑文を読むことができます。

芝山巌を取り巻く状況は、このように時の流れともに変遷していったのです。

「芝山巌学堂事件」は世情が不安定な日本統治時代初期に起こった悲劇です。しかし、この事件は日本人及び台湾人に大きな感銘を与えました。

六氏先生の教育活動はわずかな時間でしたが、彼らが犠牲を払って培った芝山巌精神は日本の教育界を揺るがし、遺志を継承するべく多くの教師が台湾へ赴きました。その功あって、終戦時の台湾の識字率は92.5パーセントにまで上がり、現在の経済発展へ繋がる大きな原動力となりました。

尊い信念を持って台湾教育の礎を築いた六氏先生。悲しい歴史の舞台ですが、日本人として一度は訪れておきたい場所です。(以上、ネットから。一部省略)

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