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    縊死の木か猫かしばらくわからない  石部明

――石部明『遊魔系』(詩遊社、2002)
   『石部明集(セレクション柳人3)』(邑書林、2006)所収

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 首吊りの木か、あるいは、猫か。まずはこの二者択一に立ち止まらされる。迷うのであれば、二つは似ているのだろう。少なくとも、そうした心理状態がありうる、まずそう思わされなければ、この句への入口は見えない。

 「縊死の木」は過去に首吊りのあった木か、それとも今まさにそこで死体が風に揺れているのか。前者として、死体は今そこにないにもかかわらず、死がねっとりとへばり付いている、そうした感触を思い描くのが正しい。人の死体かそれとも猫かが分からない、というのでは、死と生が単純な対比をなしている、だけで終わりだろう。あくまでもそっけなく、枝にはちらほらとしか葉のついていない木をイメージしよう。

 ところがこの木が「猫」と区別がつかない、と云う。猫という動物の象徴的意味がここには充填されている。というか、この句に魅入られるところがあるならば、読者は自らの猫のイメージをこの句のまえに引きずり出される。

 古代エジプトでは猫は瞳孔の変化から太陽と結びつけられて崇拝を受けた。また東西を問わず、食料庫のネズミを退治するとして、穀物の実りをあらわすポジティブなイメージをもっていた。対して、中世以降のキリスト教社会では悪魔や魔女をあらわす負のシンボルとなる。この点も、頭のよさからくるものだろう、日本の猫又など恐ろしいものに変化する、という共通イメージをもっている。つまりは、正負をあわせ持つ掴みどころのなさこそが、猫のイメージだろう。

 猫の不可解さは、人間とって外にあるだけでなく、無意識のどこかに触れるものとしてある。同じくペットとして飼われる犬との対比でよく言われるように、猫と私たちとの関係にはいくら可愛がろうが、最終的によそよそしいものが残る。むしろ猫好きとは、人の感情にはついに他なるものとしての猫のふるまいを愛するものだろう。

 エドガー・A・ポウの短編「黒猫」では、無類の動物好きと称する主人公が、悪を犯すという衝動にかられ、もっとも愛していた黒猫の片目をえぐりとり首をつって殺し、その後あらわれたそっくりな片目の黒猫によって破滅に追い込まれるてんまつを語る。ここでは、猫は無意識の自己破壊衝動のあらわれといってよい。

 「縊死の木」に戻って考えると、ここに死体をイメージするとすれば、それは自分(少なくともその分身)のそれに他ならない。猫が私たちを異界へと誘っているのと同様に、この木も死の世界への入口であろう。ここまでくると確かに「縊死の木」と「猫」は私たちの意識にとって区別できないものとしてあらわれてくる。

 さて、ここまではこの句を「縊死の木か猫かわからない」として読んできた。しかしながら、実をいえば、この句の核は何気なく置かれた「しばらく」という措辞にある。「しばらくわからない」とは時間にそって反転すれば「しばらくすればわかる」ということに他ならない。

 「縊死の木」と「猫」の二つのイメージによって開かれるのが私たちの死へと通じる、ついには私たちの感情が馴致できない何か、であるとするなら、そのイメージがクリアに見える体験の結末は私たちには予期できない。ジグムント・フロイトは論文「不気味なもの」で、人に気味の悪さを与えるものは、実際にはよそのものではなくて、自らにもっとも親しいものが抑圧されたのちふたたび戻ってきた姿だ、と述べている。

 ここまで読んできた読者が、「縊死の木」と「猫」のイメージにある不気味さを感じてきたとして(私はまさに感じつつ読んできたわけだが)、そこに自分が抑圧してきたものを見つけて、哄笑するにしても後にはひどく苦いものが残るだろう。それは確かに自分にとって生死の区別のまえにあるものであり、そうしたことでさえ、ほんの「しばらく」すると分かってしまうとは、まったく苦々しいことに違いないからである。

(湊圭史  ブログ「海馬」2009/06/30より転載)
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 27日に亡くなられた石部明氏のご葬儀が本日あった。故人を偲んで、以前ネットで読んでいた上記の一文を転載させていただく。お許しをいただくために湊圭史さんのケータイに掛けさせていただくと、10月に初めてのお子さんがご誕生とのこと。おめでとうございます。

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